母の覚悟を甘く見ていた僕は、涙が止まらなかった
母の遺体確認をしたあと、再び狭い部屋の中に戻された。泣きすぎて頭がぼうっとする。どうやってその部屋に戻ったかは覚えていない。そこで改めて事情聴取されることになった。
義父の遺体確認で、すでにパニック状態になっていた僕は、母の遺体確認をしたあとは、溢れてくる涙を止めることができなかった。警察の人からなにを聞かれても、ただ泣くことしかできなかった。「辛いと思うけど、なにか答えてくれると助かる」と言われても、なにも答えることができなかった。ただただ、ずっと泣いていた。
僕があまりにも泣いているからか、警察の人も、途中から涙をこぼし始め、泣きながら調書を書いていた。なにも答えていないのに、それでもその人は、一緒に泣きながら調書を終わらせてくれた。僕は泣きすぎて、最後の方はもう涙も流れず、ただ呆然としていた。人は悲しすぎると、涙が出なくなるんだと、このとき初めて知った。
母がどんなに義父を殺す、殺してやると言っても、本当に実行するとは思えなかった。義父は屈強な男性で、母は小柄な女性で、体格も倍ほど違うから、できるわけがないと思っていた。人が人を殺すなんてこと自体が簡単にできるとも思えなかった。
でも、母はそれをやってのけた。そして、宣言通り、自らも命を絶った。母の覚悟をどこかで甘く見ていたんだ。できるわけがない。やれるわけがない。万が一、本当に義父を殺そうとしたとしても、体格と力で勝る義父に止められるだろうと。後悔。母のことを止められなかった後悔。そのせいで義父を、母を失った。ちくしょう。ちくしょう。
深夜だったこともあって、朝まで警察署で過ごさせてもらった。つけていたコンタクトは乾いて目が痛いし、泣きすぎて頭がぼうっとする。朝まで1人で部屋の中で呆然と座っていた。
朝になって、警察の人が呼んでくれたタクシーで合宿所に戻った。眠気も加わって頭が回らない。タクシーの中で、これからのことをぼんやり考える。でも、何1つ明確に考えられない。窓の外の景色を眺めることしかできなかった。これが夢だったらいいのに。逃げるような気持ちで、そう願うのが精一杯だった。
合宿所に着き、部屋に入ると、ちょうど親友が起きたところだった。彼を見たら心が緩んだのか、また涙が流れてきた。前夜に急に合宿所を飛び出したと思ったら、朝早くに帰って来て、突然泣き出した僕を見て、彼はとても驚いていた。
彼に昨夜起きたことをかいつまんで説明する。義父が母に殺されたこと。その母も自ら飛び降り自殺したこと。その2人の遺体をそれぞれ確認したこと。警察署での取り調べ。義父が死んで、母もいなくなった。これからどうしよう。泣きながら彼に問いかけたが、答えられるわけがない。
一夜にして母と義父を失くしてしまった。生まれたわけでもないこの国で。兄弟も親戚もいないこの国で。友達ともこれから別れるのに。僕はこれからどうしたらいいんだ。涙が出なくなるほど泣いたはずなのに、涙が溢れて止まらない。もう疲れた。泣いているうちに眠りについた。