私が「すごい髪型って言われても、地毛を伸ばしただけですけど」と答えると「いいから髪を切ってこい」とすごい剣幕。
「どうして俺より髪が長い奴も染めてる奴もいるのに俺にだけ言うんだよ?」と私が言うと、教師は顔を真っ赤にして激高した。
「お前の髪型は面積を取り過ぎているし何よりも清潔感がない!」
そう言われた私が教壇の方に近づき教師を罵倒すると、胸ぐらを掴まれた。私も相手の胸ぐらを掴み、互いに怒鳴り合った。殴りたい気持ちをグッと堪えて教師の胸ぐらから手を離し、顔に飛んだ教師の唾をブレザーの袖で拭ってから、鉄でできた教室の扉を拳で思い切り殴りつけ、開けてそのまま学校を出た。
拳が少し擦りむけて赤くなっていたが何も感じなかった。駅までの道のりを歩いていると自分と社会の軋轢の、深い底無しの溝に果てしなく落ちていくようで、気付くと泣いていた。
アフロヘアでいた事に、どんな意味があったか
私は大体これくらいの頃から精神状態が悪化し、いろんな感情や痛みや空腹感などを殆ど感じなくなっていった。
今思えば高校時代の私にとってアフロヘアでいる事は、幼少期より続くアイデンティティクライシスからなんとか立ち直る為の最後の砦にて籠城するような、唯一残された反逆的手段であったようだ。
実際に幼少期にアイデンティティクライシスを経験してからというもの、数十年間に渡り得体の知れない死人の肉体をまとって生きている様で、激しい恐怖と絶望と希死念慮に襲われ自ら命を絶たずに今こうして記事を書いている事が不思議なほどである。
あの時にもしも反発せずに学校や社会常識の言いなりになっていたら、私は病気に負けて自殺していたと思う。
自らの特異性というものを社会に認めてもらえないという事はそれくらい健全な精神の発育と形成に大きな影を落とすという事を私は身を以て痛感した。その事を教育者や教育機関が知らず、意識もしていない事が非常に問題であると思う。