日本文化のルーツの多様さに無関心な大人たち
勉強ももちろんすべきだが、何より健全な人間性を育み新しい日本社会の担い手を育むのが教育者、学校、文部科学省、ひいては国家の一大責務であるはずだ。
日本文化を学び継承し、未来の日本文化、日本社会を形成していく人々を日本人と呼ぶのなら、当人が胸を張って日本人として生きられる社会にすべきだ。
アフロを切れと言われ、あえて髪の毛を編み込みにして学校に訪れるという行為は藁にもすがる思いで自分のアイデンティティを破壊させまいという彼の願いなのではないか。
もしそこで先生の言いなりになって例えば髪の毛を坊主にするとなった時には、もはや自分自身を見失うだろう。仮にそうなった時に、そもそも生徒の気持ちを汲み取れない教師や学校組織というものがその生徒の心のケアをするとは到底思えない。
そもそも日本民族、日本文化のルーツの多様さを知らない大人が多すぎるというのが正直な感想だ。
日本という島国は多民族国家であるが、いつの間にか単一民族であるという一般認識がなされるようになった。
都道府県のDNA検査で都道府県民によってポリネシア系、弥生系、コーカソイド系等の遺伝的傾向の違いがある事が実証されている。
にもかかわらず、学校教育では日本人のルーツといったような事は歴史の授業で一瞬触れるのみだったと記憶している。
やりすぎだと批判されるかも知れないが、恐れずに言えば「純粋な日本人」だと思っている生徒たちも全員DNA検査をして、どういうDNAルーツを辿って来ているのかなどを家庭で話し合わせる授業などを行うべきではないか。そうすれば大人たちも思ってもみなかった新発見があるはずだ。
そんな必要を説きたくなるほど日本人は自分のルーツに無関心だが、こういった事を子供達にも学ばせる機会を与えられたなら本当の多様性のある社会を形成する事にも繋がると思う。
多民族国家である自覚がないから、異質なものへの耐性がなく、想像力のない人々は無自覚なままに外国人や異文化に対し敵意にも似た冷たい目を向けざるを得ないのだと思う。