「壊れた物をほったらかしにしていたら、どんどん壊れていくでしょう。家も同じです。人間に例えれば、外壁や屋根は服です。破けた服を12年間も放置すれば、さらに破けていきます。つまり東日本大震災の後、傷んだ箇所を早めに直しておけば、ここまで大変な事態にはなりませんでした。2021年2月と2022年3月に起きた福島県沖地震(最大震度6強)でさらに傷んだ建築物もありました。
そうした建築物に大金をかけて直しても、住民にはなかなか戻れない事情ができています。借家にしようとしても、入ってくれる人がいるかどうか分かりません。維持費ばかり掛かるなら、公費解体で更地にしてしまおう。誰か利用してくれる人が出てくるまで待とう。そう考える人が多いのです」
結果として、夜ノ森駅の周辺はかつて住宅地だったのが嘘のように更地だらけだ。これから更地にする人もいるので、更地はまだ増える。
夜の森地区は、どうなっていくのか。おそらく誰にも答えられないに違いない。遠藤さんも「私に聞く方が間違い」と苦々しく語る。
原発事故による避難地区でよく耳にするのは「鶏が先か、卵が先か」の議論だ。
遠藤さんが出した結論は……
「店が再開しない。医療機関なども戻って来ない。これでどうやって生活していけというのか。帰還には社会インフラの整備が先」という声がある一方で、「一定の人数が戻って来なければ、赤字になるだけの店は再開できないし、新しく始める人もいない。人が戻ってこそ社会インフラが整備される」という声もあるのだ。どちらが正しいかの答えはない。
だが、遠藤さんは最近、「鶏が先。まず、人が戻らないと」と考えるようになった。
「除染など復興関係の仕事はいずれなくなります。ここでずっと暮らしていける仕事が、通える範囲にどれだけできるか。最初はアパート暮らしから始まっても、『住み続けたい』と思う人が家を建てて住んでいく。まちはそうして出来ていくものではないかと思うのです」と話す。
夜の森の成り立ちを振り返ってもそうだろう。
むしろ、振り出しに戻ったようなものなのかもしれない。
「いや、今の方が断然いいですよ。だって道路が整備されていて、下水道まで通っているんだから」
遠藤さんは、富岡町内でも先行して避難指示が解除された地区に住みながら、夜ノ森駅前の自宅をこつこつ直してきた。「ようやくボイラーが直るので、風呂に入れます。そうしたら自宅へ戻ります」と嬉しそうに話していた。まだ全部直せたわけではない。「どう直していくかは、これから住みながら考えます」。
「まず、帰る」という住民が、ここに1人。
そうした積み重ねで、まちは少しずつ動いていくのかもしれない。
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。