1ページ目から読む
2/3ページ目
しかし、大谷選手は「別にどちらかに絞らなくてもいいのではないか?」「どちらもやりたい」という思いを抱いていたのだろう。
だからこそ、北海道日本ハムファイターズに入団する際にも、「プロでも二刀流を続ける」と宣言し、実際に日本でもアメリカでも、そのスタイルを貫いているのだ。
そこにあるのは、「自分で自分の限界を決めない」という思いだ。
自ら限界をつくらない者こそが、誰もできないことを成し遂げるのである。
自分で自分の限界を決めることに意味はない
わたし自身の例でいえば、「40歳になってもショートを守り続ける」という思いをプロ入り以来ずっと抱いていた。
一塁手、二塁手、三塁手、そして遊撃手と、数ある内野ポジションのなかでも遊撃手はさまざまな動きを求められると同時に、俊敏性も必要であるため、これまでずっと「ベテランになるとショートは守れない」と考えられていた。
しかし、わたしはその固定観念を打破したいと思っていた。
きちんとトレーニングを積み、正しく努力をしていれば、ベテランになっても十分、遊撃手は務まると考えていたのだ。とはいっても、まわりを見回しても40代になってもショートを任されている選手は皆無だった。
20代の頃は不動の正遊撃手だった選手も、30代を迎えて体力の衰えが見られ始めるとともに「負担を軽減するために」という理由で、二塁手や三塁手にコンバートされるケースばかりだった。
わたしは、そうした現状を変えたいと思っていた。