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布袋のプロポーズに「1年の猶予がほしい」

 そんな彼女のため、松田ディレクターが用意してくれていたのが、ドラマ『ドク』の主題歌の話だった。今井は企画書を読むと、ドラマのポジティブさと、いま非常にポジティブな曲を歌いたいという自分の気持ちがちゃんと手を結べると思ったという。曲を発注しようとなったとき、布袋に頼もうと提案してくれたのも松田だった。

 こうして生まれたのが、今井最大のヒット曲となった「PRIDE」(1996年)である。曲ができたとき、今井は布袋が自ら歌ったデモテープを聴きながら、涙があふれてきたという。その歌詞には、自分は言い訳せずに誇りを持って生きようと彼女がひそかに心に決めたことが、彼には一言も話していないにもかかわらず書かれていたからだ(『BART』1997年8月11日号)。

「PRIDE」(1996年)

 今井はこの頃、《男だったらね、男同士で認められる人になりたいって、きっと思っちゃうだろうなって。そういう熱い系な感じのことを布袋さんには感じますよね(笑)》と語っていたが(『BART』前掲号)、その布袋と「PRIDE」リリースから3年後、結婚するにいたる。ただ、彼から初めて気持ちを打ち明けられたとき、あまりに急な申し出に今井は動揺して「1年間の猶予がほしい」と返事をしたという(『週刊朝日』2009年4月3日号)。

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ふたたびのプロポーズ、布袋が語った言葉

 布袋の著書『秘密』(幻冬舎、2006年)によれば、それは彼が前妻の山下久美子と離婚してしばらく経ってからのことらしい。お互いの気持ちに慎重になっていたせいか会う機会も減っており、今井は布袋に「二人の気持ちが確かなものとなるまで時間がほしい」と言ったという。彼女としては、彼の背景の大きさを背負っていく自信がなかった。それでも、布袋と同じ夢に向かって走っていけるかと自問自答を重ねた末、ふと、彼の音楽への情熱を浴びることができなくなるのは嫌だと思った途端、気持ちがすーっと楽になったと、のちに語っている(『週刊朝日』前掲号)。

 布袋によれば、今井に改めてプロポーズしたのはロンドンでのレコーディングを終えて帰国したばかりの春の夜、ちょうど彼女の誕生日だった。このとき、「俺はこれからも自分の夢を追って世界を目指す」と告げたとおり、布袋はその13年後にロンドンに定住を決め、今井も当時10歳になっていた娘とともについていくことになる。