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「近くの幹線道路だろうがどこだろうが、軽トラで時速10kmほどの速度でいつもノロノロ運転したり、急ブレーキを踏んだりと“逆煽り”運転をしていました。知人から聞いた話では、クラクションを鳴らすとヒコさんはドアを開けて外に出てきて、トラブルになることもあったといいます。ムラの飲食ができる集会場のような共有スペースには、たまに1人で酒を飲んでいることもありましたね。友人なんてもちろん1人もいません。怒りっぽくて口数が少ない人でした」(同上)
「不幸が重なってから人が変わってしまった」砂渡さん
だが、砂渡さんの評判は、現在と若かりし頃とでは、ずいぶん違うようだ。別の近隣住民はこう話す。
「好彦さんの評判は今でこそ散々で、村八分のようになっていますが、昔は全然違いました。彼は畑が趣味で、もともとは自分で作った野菜を近所のみんなに配ったりするような人だったんです。好彦さんご一家も、同じような気遣いができる人たちでした。ただ、不幸が重なってからは人が変わってしまった……。連れ添った奥さんも亡くなってしまったし、遠くに出稼ぎに行った孫まで亡くなってしまったんです。
それからは、村の人たちが『好彦が何かよからぬことをしたからだ』『村の掟に背いたからだ』と根も葉もない噂を立てるようになった。好彦さん一家の分家の人たちも、『不幸が続くのは好彦が異端だからだ』と、好彦さんを村八分にすることに加担し始めました。村の女性たちもそんな話をあちこちで言いふらしていき、村中に噂は知れ渡っていったのです」