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いつも普通でいたいし、生活を大事にしたい

――直近でいつ行きましたか?

岸井 2月に行きました。その時は手伝わなかったんですけど、毎年2、3回は顔を出しに行きますね。「ビール、瓶で」ってオーダーが通ったら、「やっとくよー」っていう掛け合いもすごく好きだし、当時弟子だった16歳の子がもう20何歳なの!? って。もう7年くらい経ってるかもしれない。みんな普通に接してくれるんで、それがうれしいですね。安心する。

――その安心感はきっと、役者としての岸井さんに欠かせないものですよね。岸井さんが岸井さんであるために、というか。

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岸井 そうですね。存在として、普通に接してくれる人たちがいることは、欠かせないです。私はいつも普通でいたいし、生活を大事にしたいんですよね。植物とか、家にいる時間とか、素朴な生活をしている自分が好きですね。映画を観たり本を読んだりすることをお勉強のためだなんて一度も思ったことがないし、ただただ好きで、映画を観て本を読んでいるだけで安心します。

 

――映画はかなりお好きだと。

岸井 はい、もう大好き。ないとダメですね。逃げ場所みたいな感じです。

コンプレックスなのか劣等感なのか

――映画でもドラマでも、画面越しに拝見する岸井さんはいつもストレートでむき出しな感じがして、その存在のありようにすっと安心できるんですが、そういうふうに感じる観客は多いんじゃないかなと。そのあたりは、意識されていないんですよね? きっと。

岸井 (しばらく間があって)こういう人もいるよって、思ってもらいたいのかもしれない。

――それは役として? 自分として?

岸井 役として……うーん、自分として、ですかねえ。あぁ、わかんないなぁ(しばらく考える)。

 

 表舞台に立っていると、たとえば私は30に見えないとか、背が小さいとか、美人じゃないとか、言われるじゃないですか。でも私は30年生きてるし、見えなかろうとなんだろうと、この背でずっと生きているし、「私はいる」。それで、こういう職業をしていることにコンプレックスなのか、劣等感なのか、あると思います。

 もし仮に、その場で変にがんばってきらきらしようとしたら、その役自体が嘘になっちゃうかなって思います。私がこれで生きてきて、役をもらっているということは、きっとありのままを出すべきなんだって。ケイコの役なんてまさにそうで、私が演技をしてしまったら本来伝わるものが半分になると思ったので、「私がいまを生きている」姿を撮ってもらうのが一番いいなと。