今や“当たり前”になった出来事が“当たり前”になる前の時代、しなやかに生き抜いた先駆者たちがいる。

 セクシャリティの専門家が彼らにインタビューを行ない、往時の貴重な証言を集めた『躍動するゲイ・ムーブメント――歴史を語るトリックスターたち』(明石書店)より一部を抜粋。

 ゲイ雑誌『アドン』を立ち上げ、「IGA(国際ゲイ協会)日本サポートグループ」を作った南定四郎さん(91)が、若い頃にゲイバーで知り合った「Kくん」とのエピソードを紹介する。(全2回の1回目/続きを読む

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南定四郎さん=PHOTOGRAPHED BY LESLIE KEE © 2015 OUT IN JAPAN All Rights Reserved

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「アドニス」でKくんと知り合う

南定四郎さん(以下、南) 「アドニス」【注1】に行ったらそこは店が1階だったですね。ドアを開けたらね。カウンターがあって。暗いんですよ。当時のゲイバーっていうのはね。電気は手元に明かりが来るだけで顔があんまり見えないっていう感じね。そして、お客が入ってくると一斉にパッとドアのほうを見るわけ。それで値踏みをするわけですよね。それでこっちはね。ちょっと恐ろしくなっちゃう。そこにそのまま立ち止まっていたらね。「あ、どうぞ。2階へ」ってカウンターのマスターが言う。

 ああ、2階もあるんだなと思ってトントンと上がっていったら2階はガラ空きでテーブル席でね。ああ、しょうがねえなと思ってそこで待ってたらボーイが上がってきてね。「何します?」って言うからビールって言ったらビールを運んできた。私はもともと無口なほうだから自分からはものをしゃべらない。向こうが「今何をやってるの?」とかそんなような話で、そのうち「踊りましょうよ」と言うのでSP盤ですね。当時もうSP盤があったから。SP盤をかけてレコードを鳴らすわけね。あれはね。三人娘がいた。美空ひばり……

――江利チエミ、雪村いづみ。

 雪村いづみ。雪村いづみのね。なんとかの高原とかっていう流行っていた歌があってね。それが1曲終わるとね。またパッと針をかけて何回も踊っているわけ。ただそれだけなんです、相手は。そのビールの1本もなくなっちゃったし、まあこれで帰ろうと思って。

 帰ろうとしたらさ、「さっきの、あのビールは下からのプレゼントなので、帰るとき一言お礼を言って。その人は階段を下りたところに座ってるから。その人しかいないから」って言われた。下りていったらそこにいました。詰め襟の学生服を着た男です。ありがとうございました。ふんふんなんて言ってね。「じゃあ帰るんだったら私も帰るから。一緒に出ましょうか」って言われ、彼と一緒に外へ出た。

 外へ出たら彼はね、「ちょっとこのへん、歌舞伎町をうろうろしませんか?」と言うので当時コマ劇場という劇場の前が深夜になると大変盛んになってね。もう終電がないから人がそこにたむろしてるんです。いろんな人がね。

 それでね「ちょっとここで待ってて」って花壇のところで私は待たされていたら、5分か10分で彼は戻ってきたのね。戻ってきたら「自衛隊から休暇で出てきて朝の始発電車までぶらついている2人がいるから、我々2人と合同して旅館へ行かない?」って言うからさ。どんなんだろう? と思って付いていった。