今や“当たり前”になった出来事が“当たり前”になる前の時代、しなやかに生き抜いた先駆者たちがいる。
ここでは、ゲイ・カルチャーの歴史を明らかにするために、当時を生きた人にインタビューを行った『躍動するゲイ・ムーブメント――歴史を語るトリックスターたち』(明石書店)より一部を抜粋。
ドラァグクイーン・マーガレットとして知られ、ゲイ雑誌『バディ』創刊にも関わった小倉東さん(61)が振り返る、ドラァグクイーンたちの活動や意識の変遷、周囲から向けられる反応について紹介する。(全2回の2回目/最初から読む)
※ゲイシーンにおいて慣用的に使われてきた言葉を採録し、口述や解説などの特定の文脈の中でその言葉を有意味に再配置するという目的の上で、現在では通常、差別的・侮蔑的とみなされる語である「おかま」を、カギ括弧をつけずに記した箇所があります。
◆◆◆
ゲイバーの女装とドラァグクイーン
――ゲイナイト「GOLD」では定期的に女装コンテスト「ミス・ユニバース」が開催されていましたよね。出演されていましたか?
マーガレット うん。どの回に出たかどうかは分からないが、出てるよ。1、2回か、2回かな?
――この「ミス・ユニバース」というのは、あえて男性に“ミス”を使っていましたか?
マーガレット うん、男性に“ミス”です。ドラァグクイーンたちが各国の代表にちなんだ衣装で出てくる。
――“ドラァグクイーン”という名称ですか? この時期に?
マーガレット うーん、“ドラァグクイーン”って名前ではなかった。だから「ミス・ユニバース」なんじゃない? ほら、“ドラァグクイーン”なるものの存在がまだ認知されてないから【図1】。“女装の人たち”を仕分けるために、「ミス・スイス」とか「ミス・アメリカ」、「ミス・ロシア」のように国と衣装を結びつけて呼んだの。
――第何回から出られていました?
マーガレット 記憶にはないけど、知ってる人たちが出ていました。オフィーリアとか、ガンコ、ジンコ、ケイコとか…。ジンコはマット・ビアンコっていうお店で、ケイコはKID'Sってお店の経営者かママをやっていた。ケイコとジンコは、日本のドラァグクイーンのわりと最初のほうの人たちだね。
彼らは〔新宿〕二丁目で働いている店のママや従業員で名前があまり〔クイーンっぽくない〕。彼らはあまり「自分たちがドラァグクイーンだ、ドラァグクイーンだ」って言ってなかった。たぶんドラァグクイーンのブームが始まる前からお店で女装をしてた人たちだから、あえて〔クイーン名を〕名乗ることはなかったのね。【注1】
――90年代、関西では「ダイアモンド・ナイト」【注2】のように現代アートに携わっていたクイーンさんも多かったと思いますが、東京はそのあたりはいかがでした?
マーガレット そのぐらいの時代に東京で活動していたクイーンってほんとに限られた人しかいないと思う。私、hossy、オナン・スペルマーメイド、クリスティーヌ・ダイコ…。hossy、ダイコは〔アパレル関係や美容師など〕ファッション寄りの人だった。
――服を作るのが得意な人と、メイクに関わる仕事をしている、あるいはメイクが得意な人に分類することは可能ですか?
マーガレット いや、服とメイクはほとんど同一のものだから、それで区分けることは難しいんじゃないかな。基本的にパーティー単位でものを考えたほうがたぶんいいような気がしていて、たとえばファッションショーの打ち上げとか、ファッションショーのフロアなどに呼ばれるタイプのクイーン、呼ばれないクイーン、そういうふうに考えたら〔いいと思う〕。
――違いは何ですか?
マーガレット おしゃれ?