「なかなかできなかったのは靴紐を結ぶこと」
「ちゃんと料理をしたいから。箸でご飯を食べたいから箸も使った。箸でないと、おいしくないでしょう。料理や食事は割と簡単にできるようになったけれど、なかなかできなかったのは靴紐を結ぶこと。時間はいっぱいあるからあせる必要はないと思った。ちゃんと結べたときは、やったって思った」
返す言葉が見つからない。ただただ、すごい人だと思う。立派に生きている人、生活人。だから、山でも強いのだろうか。
妙子たちはハイキングから始め、岩に戻っていく。最初はトップロープ。1年足らずで5.11が登れるようになる。むろんロープやカラビナも使う。クラックにセットしてビレイ点として使用するクライミングギアであるカムを扱うのは、いっそうの困難を伴った。岩にセットされたものを回収することはできる。けれど、セットするのは難しかった。バネを引く部分が遠くにあり、指が届かないからだ。
「ここになにかをつけなければいけない」と言いながら、押し入れにしまってあったパラグライダーを出してきた。妙子がヨーロッパに頻繁に通っていたころに覚えたもので、後立山連峰やヨーロッパ・アルプスを登っては、山頂からパラグライダーを使って飛行していた。パラグライダーにあるライン(ロープ)は、細いながらも当然、強度がある。これが使えるのではないか、というのが妙子の考え。昔使っていた道具を大切に押し入れにしまっておき、なにかのときにこうやって取り出すあたりが、妙子らしい。早速つけてみたが、ラインだと張りがなく、結局、妙子の指は届かなかった。針金にしようという結論に至り、針金をつけた。けれど、妙子のカムだけにつけても意味がない。「柏さんのカムにもつけていい?」と。合計何個のカムに針金をつけたのか。細かな作業にいそしんだ記憶がある。
ほとんど指がない手になり、それでもホールドをつかみ、クライミングギアも操り岩に登る。もちろん、ビレイもする。「この手で岩登りに復帰していくのだから、妙子は気持ちが強いだけでなく身体能力も高い」と泰史は言う。
岩に戻る以上に、氷雪壁に戻るには時間がかかった。それでも、平成16(04)年3月には、泰史が所属する日本登攀クラブの友人、宇都宮寛史にリードされ、谷川岳4ルンゼ本谷を登る。アックスを握りやすいようにと、旧知の仲であるミゾー(登山用具メーカー)の溝渕三郎が、シャフト部分を細く細工してくれたのが活きた。妙子の強さを、泰史はこう話す。「妙子の好きな60度ぐらいの氷雪壁だったら、普通のアルパインクライマーよりも断然早い」
(後編に続く)