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 その後、平成19(07)年、泰史と、登山家であり山岳書の編集や執筆を生業としていた大内尚樹と三人で、群馬県にある一本岩という岩が非常にもろくユニークな姿の岩峰を初登攀した。年譜に詳しいが、海外の記録は活発だ。特筆すべきは、平成19(07)年のグリーンランド・オルカ初登攀。泰史と旧知の仲の登山家であり山岳ガイドの木本哲と3人。平成20(08)年はキルギスでのビッグウォールなど。ほかにも、北米やイタリアでのフリークライミング。

 近年は体調不良と肩の痛みであまり登らなくなった。「登りたいから、健康状態をよくしたいと思っている」と言う。それが、いまの望みだと。そして、令和2(20)年、平成の間住み慣れた奥多摩を後にし、静岡県伊東市に引っ越した。奥多摩のときよりも畑の規模が大きくなり、庭にはたくさんの柑橘類の木が植えられている。「めざすは完全自給自足」と、いままで以上に畑仕事にいそしんでいる。

山野井泰史氏 ©文藝春秋

妙子は、過去にまったく執着がない

 妙子は、過去にまったく執着がない。過去の出来事はどんどん忘れ、まったく引きずらない。登った山をあまり覚えていない。今回のインタビューでも、7時間以上録音しているが、「えっと、うーん、覚えていない」というセリフが繰り返されたり、「パスポートを見ればわかる」と言って、過去のパスポートの束を出してきたりする時間も含まれているので、いったいインタビューの正味がどれほどかはわからない。

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 必要以上に、なにかに心を揺さぶられることもない。小さな出来事にうれしそうな笑顔を見せるが、激しく怒ったり、極端に悲しんだりしない。気持ちが安定しているのだ。けっして冷たいとか他者を思いやらないわけではない。あるとき、彼女の家に着き車を降りるなり、妙子が家から飛び出てきた。普段だったら台所仕事でもしながら家の中で待っているだろうに不思議に思うと、開口一番、「検査結果はどうだったの?」と私に尋ねた。病院から、私が受けたある検査結果が出ることを知っていたからだ。友人を心配する気持ちが、じかに伝わってきた。妙子は心が温かく、細やかな気持ちをもった人である。