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指を失っても「なにも言わない」

 今回のインタビューで思わず尋ねてしまった。「別れは悲しくないの?」と。妙子がなにかに心を乱す姿を見たことがなかったからだ。

「親を亡くしたときは泣いたよ。でも泣いても生き返らない。それをただ受け入れるだけ」と答えた。ギャチュンカンで指を失ったとき、「自分が好きで登って失ったのだから、なにも言わない」と話したのをよく覚えている。

 ありのままを受け入れ、いまを見つめ、この先に向かう。いまとこの先への集中力がすさまじい。だからこそ、九死に一生を得る場面が何度もあって、体に大きな代償を払っても登り続けてきたのだと思う。

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 これまでに妙子が続けてきた登攀の内容に、追従した日本人の女性はいない。遠藤と登ったチョ・オユー南西壁は、日本人のみならず世界の女性たちに目を向けても、貴重な記録だ。女性で8000m峰のバリエーションルートの登攀に成功したペアは、妙子と遠藤以外にいないうえに、男性に目を移しても、実践したクライマーは数えるほどしかいない。7000m峰については、男性とペアを組んで登った女性しか私は知らない。近年、アラスカのデナリ国立公園でアメリカ人女性のペアがバリエーションルートの登攀に成功して いるが、それぐらいだ。妙子の登山は、周囲の人たちに大きな勇気を与えたことだろう。 現在の日本では、アルパインクライマーと呼べる女性はごく少数だ。彼女たちにとっては、妙子は圧倒的な存在である。また、アルパインクライミングをしない女性たちにとっても、その丁寧な生活ぶりや登山への情熱は、憧れだ。

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 泰史は言う。「妙子はすぐに過去の登山のことを忘れてしまうが、蓄積された力がある。これだけ登っていたら、3回ぐらい死んでいてもおかしくない。そこを生き抜いてきたのは、運だけではない。妙子の実力だ」