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「生活に必要とされる施設のない」分譲住宅地の行方

「生活に必要とされる施設のない」分譲住宅地。冷静に考えて、はたしてそれは、いったいなんなのだろう。ようするに、たんなる地面の切り売りということではないのだろうか。住宅地としてもっとも重要な定義が欠落した、こんな常識はずれの文言を広告に入れてもだれも疑問に感じないほど、千葉県北東部の不動産市場においては、売り手と買い手の両者ともが土地というものを、もはやたんなる投機商品としてしかみなしていなかったのだ。

 住宅地として利用するにはインフラや施設があまりに不足しているような分譲地でも、つぎつぎと完売が続くなか、土地ブームが過熱するにつれて業者側も、とりあえず安く取得できた開発用地を造成し、分譲地として売りさばいていったのである。

左隅の概要欄の文末には「現況有姿販売につき、生活に必要とされる施設はありません」の文字が

場あたり的な開発は何を生みだしたのか?

 わずかに住民の流入が進んだ分譲地においても、新住民らに公共交通の利用を期待することはできなかった。自家用車の普及以前からの住民が多く暮らす既存集落や古い市街地では、公共交通機関を利用して移動する習慣を残す人びとがまだ少なからず存在するが、高度成長期以降に開発された分譲住宅地を選んだ住民は、最初から自家用車での移動を前提として移り住んでおり、バスや鉄道で移動する発想すらもちあわせていない。

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 その地に生まれた子どもたちも、高校くらいまではなんとか自転車などを使って通学するものの、大学進学、あるいは就職を迎え、いよいよ限界分譲地の暮らしには無理が多くなり、独立してべつの地域に居を構えてしまう。

 したがって、今日においても地元自治体はときおり、僻地の住宅団地や限界分譲地もふくめた交通空白地帯の解消をめざし、新規路線バスの実証実験運行を試みてはいるものの、利用者数は伸び悩んだまま、本運行とならず廃止されてしまうことも多い。

 このように、限界分譲地をとりまく貧弱な交通利便性は、たんに公共交通機関の衰退という文脈で語れるレベルの話ではない。鉄道駅に接続するバス、あるいは自転車を使って、学校や会社、商業施設へアクセスするという、一般的な郊外住宅地における生活イメージとはまったく異なる実態は、どうひいきめにみても計画的とはいえない場あたり的な開発・分譲が進められてきた結果なのである。

 いうまでもなくこのような限界分譲地は、近年にわかに取り沙汰されている「コンパクトシティ」の理念からはるか遠い圏外に位置するものであり、生半可な都市計画では、両者の歩み寄りなど実現不可能であるといわねばならないものだ。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。