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『龍神様』が繋いでくれた縁

 コロナ禍のなかでは、同情した3人のお客さんから「銀行口座にお金を振り込みたい」あるいは「1000万円でも」という話さえあったが、植村さんは、それに甘えるわけにはゆかないと、すべての申し出を固辞した。

 そんななか、再び転機がやってくることになる。ある雨の日、すぐそばの寿司屋で働いていた年下の男性が、植村さんに傘をさしかけてくれた。とても自然な親切をきっかけに彼女は、その男性の仕事上の悩みの相談などに親身になって乗ることになったのだった。その後、彼は近所で会員制の高級寿司店の社長となり、そこから若く勢いのある事業家などが「おかえりなさい」にやって来るようになった。

 銀座の多くの店が課題として抱えるであろう世代交代と客層の広がりが、コロナ禍の下、劇的なかたちで成し遂げられたのだった。

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 いまでは店に来る多くの人が、亜紀子ママの店に訪れると運気が上がる、運勢を見てもらおうとやって来る。「雨の日に傘をさしてくれた彼は〈龍神様〉だったんですね」と植村さんは話すのだった。

峻烈な母に多くを負った人生

 岡本哲志の『銀座四百年 都市空間の歴史』(講談社選書メチエ、2006年)という本の中に銀座の人たちがよく口にするある言葉についての印象深いくだりがある。

「銀座フィルター」は銀座で商いを望む人たちを拒まないが、街に同化できなければ自ずと去っていく、篩(ふるい)のようなものであるというのである。大企業でも、小さな店でも、街を育てる企業努力なくして、銀座での商いは長続きしないという意味である。最も経済性が問われる銀座でありながら、経済一辺倒の論理だけでは成立し得ない、街と共に生きる銀座の店のあり方がこの言葉には示されている。

 いまでは植村さんの夢を受け継いで演劇で活躍している娘の樹麗さんや、その演劇友だちも植村さんを慕って店で働いている。峻烈な母に多くを負った人生だったが、いま植村さんはコロナ禍の苦境を乗り切り、この生き馬の目を抜く夜の街で見事に「銀座フィルター」を突破したように私には思われるのである。彼女は自らの人生を己の力で切り拓き、今日も銀座で店を開けている。