お笑いコンビ「パーパー」のほしのディスコさんが、これまで隠していた自分の生い立ちや人生を綴ったエッセイ『星屑物語』。ここでは、吉本のお笑い養成所・NSCに入学した際のエピソードを抜粋して紹介する。
実はほしのさんは、高校生の頃にテレビ番組「田舎に泊まろう!」の収録で、「レギュラー」の松本さんを実家に泊めたことがあるという。芸人を志してすぐに、思わぬ形で叶った再会とは——。(全2回の1回目/続きを読む)
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NSCが始まった。
週に3、4回授業があって同期は最初1000人くらいいた。でも、軍隊のような場所で、授業が始まる1時間前には教室にいなければいけない。もし間に合わなければその日授業は受けさせてもらえず、家に帰らされる。
教室に入るときに大きな声で挨拶をしないと一つ上の期の先輩にキレられる。授業中にケータイの音が鳴ってしまったら、坊主にしてくるか、ケータイをその場で破壊するしかない。ボイスという発声の訓練をする授業で、口臭チェックがあり、口が臭い人は帰らされる……などと、漫画のようなとても厳しい規律があった。
1000人いた同期は、半年も経たないうちに半分以下になっていた(ちなみに現在のNSCは、授業を休んだら心配の連絡が来ることもあるくらい優しくなったようです。ですので、これから入学を考えている方安心してください。素敵な養成所です)。
鬼越トマホークの金ちゃん、いぬの有馬君と太田君、ニューヨーク嶋佐君は同じ1組で同じ授業をよく受けていた。ネタ見せで講師の先生に評価された人はクラスの中でも一目置かれる存在になっていき、クラスの中にヒエラルキーができていた。
僕はずっと一番下だった。ただ、真面目な性格ではあったので、授業はほぼ皆勤賞だった。唯一休んでしまったのは、自分の好きな芸能人が「フライデー」に載ったときにショック過ぎて微熱を出したときだけだった。
授業にたくさん出たから偉いとか、真面目に取り組んでいるから偉いという、今までの学校の評価基準は全く通用しない。ただとにかく目立つ人、面白い人が評価される世界だった。高校時代の明るい人達を思い出した。高校のときにあのノリができなかった僕は、ここでもやはり殻に閉じこもることしかできなかった。
僕はなかなかコンビを組めずにいた。他のコンビを組んでいる人やピンの人は、もうネタ見せを始めている。どんどん焦りが生じた。
初めてコンビを組んだ相手は
入学から1ヶ月が経ち、なんとか声を掛けて、コンビを組むことができた。背は低く髪の毛は金髪で日サロに通っているのか、こんがり焼けた肌のチャラそうな18歳の男の子だった。
家の方向が一緒だったのがきっかけでコンビを組み、NSCのある神保町から電車で家に帰っているときにコンビ名を考えた。
「フレンズ」
普通に出会っていたら絶対に友達にならなそうな2人だった。