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「『歌うま』と呼ばれるのがつらかった」気楽に撮った動画が大バズり、テレビの仕事もきたが…パーパーほしのディスコの“複雑な心境”

「『歌うま』と呼ばれるのがつらかった」気楽に撮った動画が大バズり、テレビの仕事もきたが…パーパーほしのディスコの“複雑な心境”

『星屑物語』より#2

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 お笑いコンビ「パーパー」のほしのディスコさんが、これまで隠していた自分の生い立ちや人生を綴ったエッセイ『星屑物語』。ここでは、ほしのさんがお笑いだけでなく、「歌」でも注目を浴びるようになった経緯を紹介する。

 ほしのさんといえば、今ではYouTubeなどで公開している個性的な歌唱が有名である。しかし、歌を披露しはじめた頃の心境は、複雑なものだったという——。(全2回の2回目/最初から読む

ほしのディスコ ©️文藝春秋

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元相方から突然の連絡

 2020年、コロナがやってきた。

 これによって僕は窮地に立たされた。仕事がほぼない。そして、今後も恐らくない。コロナが収束したとしても自分の代わりなんていくらでもいるし、まずそもそも居場所がない。

 政府に自宅待機をさせられながら、もしかしたら僕はずっとこのまま自宅待機の可能性があるなと笑いながら本心では震えていた。

 1ヶ月の収入が家賃を払えないほどまで落ちた。終わった。

「30歳までにある程度結果を出せなかったら、芸人を辞める」という親との約束があり、なんとかギリギリ辞めずに30歳を乗り越えたのに、その期限の翌年に辞めるタイミングが来てしまった。

 世の中もどうなるかわからない。先の見えない不安でいっぱいだった。

 そんな頃、カーディガンのときの元相方から久しぶりに連絡が来た。

「元気?」

 元相方は、コンビを解散した後、社会人として成功を収め社長にまで上り詰めていた。家族と何不自由ない暮らしをしている。元相方が経営している高級すき焼き店でご馳走になったこともある。もしかしてまたお腹いっぱい食べさせてくれるのか。当時の僕の取り柄はいつでもスケジュールが空いていることだけだったので、すぐ会いに行った。元相方は、僕にこう言った。

「YouTube一緒にやらない?」

 YouTube? あぁ、今流行っていて、芸能人とかもみんなやり始めてるなぁ。でも、自分みたいな芸能人の端くれでもないただの自宅待機人がやって誰か見てくれるか? 始めてみたらチャンネル登録者が百人もいかなくて、また惨めな思いをするだけかもしれないなぁ。

 と、心の中で思った。

 でも、いつでも明るい元相方は言った。

「時間あるならやってみようよ」

 そう言われたら何も拒否はできない。時間だけは無限にある。断る理由がない。

「やらせてください」

 こうしてYouTubeチャンネルを開設することになった。