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「『歌うま』と呼ばれるのがつらかった」気楽に撮った動画が大バズり、テレビの仕事もきたが…パーパーほしのディスコの“複雑な心境”

「『歌うま』と呼ばれるのがつらかった」気楽に撮った動画が大バズり、テレビの仕事もきたが…パーパーほしのディスコの“複雑な心境”

『星屑物語』より#2

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ほしのディスコちゃんねるの誕生

 撮影初日。元相方は、職場の元同僚で編集ができる、がっきーという人を連れてきた。この人も社長らしい。でも見た目は茶髪だし、チャラそうな服を着ていた。仲良くなれるかなぁ。人見知りだし。

 しかしがっきーも僕と同じくらい人見知りだった。僕の1つ年下だし。出身沖縄だし。良い人そうだった。

 元相方はYouTubeによくある、顔出しはせずに声だけの出演にしたいとのことで、YouTube上での名前を「声の人」にした。

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 メインの出演は、ほしのディスコ、声のみの出演は、声の人、編集は、がっきーという役回りが決まり、ほしのディスコちゃんねるが誕生した。

 社長と社長とほぼニートという謎の組み合わせ。これは金持ちに操られる貧困男を見て楽しむチャンネルなのか?

 あと4ヶ月ちょっとで終わる2020年の間にチャンネル登録者数を1万人にしたいという無謀な目標を立てた。

 ほしのディスコちゃんねるを誕生させてみたはいいものの、ここから先の計画や戦略は何も考えていなかった。一番大事なものがなかった。チャンネル登録者数1万人なんて何年かかるかわからない。もしかしたら何年かかっても達成できないかもしれなかった。

 なので最初は、気楽にユーチューバーの真似事をただしようということになった。

 家賃も払えるかわからないくらいの給料しかないのに、10万円近くするカメラを購入し、大食いや体を張った企画などオーソドックスな動画を順番に撮っていた。

 その頃、YouTubeの中で一番流行っていたのが、ファーストテイク動画だった。

 プロのアーティストが一発撮りで歌う「THE FIRST TAKE」。その動画からブレイクしたアーティストや名曲がたくさん存在した。それのオマージュをいろんなユーチューバーや音楽をやっている人、そして芸能人もみんな始め出した。歌手が本業じゃない人の歌う姿は新鮮だったし、想像以上に素敵な歌声を聴かせる人もいて、再生数はものすごい数字を叩き出していた。

 僕らもそれに倣ってやってみることにした。歌を歌うことは好きだが、自分の歌に自信は全くなかった。大好きなクリープハイプさんの歌を歌えればそれだけで満足だった。

 

 クリープハイプさんの「栞」と、自分のプロフィールの特技欄に「女性の曲も原曲キーで歌える」と書いていたので、たまに証明するために歌ったりしていた「愛をこめて花束を」の2曲をレコーディングした。

 本家ファーストテイクと同様一発撮りで行ったため、撮影はものすごく早く終わった。レコーディングブースで歌うのは楽しかった。またいつかやれたらいいねーみたいなことを3人で話していた。

 そして、「栞」をアップロードした。

 それからすべてが変わった。

 動画を見た人が拡散をして、それを見た人がまた拡散してくれるループが起き、YouTubeの急上昇ランキングにもランクインして動画の再生回数は瞬またたく間に増えていった。

 普段あまり芸人にも興味を持たれていない影の薄い僕だったが、いろんな人がこの動画に反応してくれた。最初に言ってくれたのがパンサーの向井さんだった。向井さんがやっておられるラジオでこの動画の話をしてくれた。そのおかげでさらにこの動画は広まった。向井さん、とても感謝しております。

 ついには尾崎世界観さんもコメントしてくださって、それだけでもこの動画をアップした元は何十倍も取れていたのだが、そこから加藤浩次さんの「スッキリ」に取り上げていただいたり、いろんな番組にお笑いのネタではなく、歌で呼んでもらえるようになった。

 こんなお笑い以外でテレビに出る方法ってあったのかと誰よりも自分が一番驚いていた。歌を歌うことは好きだし、テレビにいっぱい出られるのは嬉しかった。

 しかし、嬉しいと言っていられるのは最初だけだった。