スターリンはとにかく酒宴を好んだ。海外から首脳が訪れても、自分たちのペースを崩さない。あるときは、部下が唐辛子入りのウォッカをなみなみとつぎ、英国の参加者に「一緒に飲み干そう」と声をかけるも、飲み干すのは自分たちだけで、相手はちびちびと舐めるだけ。それでもかまわず2杯目も一気飲み。まともでいられるはずがなく、顔から汗が噴き出て、椅子に座るのもままならない状態に陥り、英国側は完全に呆れ果てる。頃合いを見計らってスターリンが汗だくで泥酔した部下に近づき「かんぱーい」って、どんな宴なんだか。
また、西側諸国を招いたパーティーでは、ロシア側の誰もが各国の大使を酔わせようとした。英国大使はワインボトルとグラスが所狭しと並ぶテーブルに倒れ込み、顔に切り傷をつくり、米国の将軍はふらつきながら売春婦を伴って、自室に姿を消した。
近年も米国の大統領がロシアで破廉恥なプレイをしていたと報じられたが、西側にとってはロシアは鬼門のようだ。
「こいつらは任務を怠れば絞首刑だ! 乾杯」
誰がいようとおかまいなしに放言した。部下をからかい、「こいつらは任務を怠れば絞首刑だ! 乾杯」とグラスを合わせ、時のフランスの実力者であるシャルル・ド・ゴールをドン引きさせた。
とは言え、スターリンもさすがに大戦中はあまり酒も飲まず膨大な仕事をこなした。だからと言って、部下は気が抜けない。酒宴で部下をいじめ抜くほどだから、仕事で部下を徹底的に管理しようとしたのは言うまでもない。
第2次世界大戦中はスターリンも、側近があまりにも抱えている仕事の量が多いため、休息をとらせようという親心から休息表をつくった。例えば、午前4時から午前10時までは確実に眠るように命じた。疑り深いスターリンは休息を命じた時間帯にわざと電話をかけ、本人が電話に出ると「なんで休んでないんだ」と𠮟った。
困るのは部下だ。「ちゃんと眠れ」と言われても、スターリンと深夜まで食事や映画鑑賞に付き合わなくてはいけないため、仕事が全く終わらない。電話対応に別の者を配置し、スターリンから電話があると「同志は休息中です」と答えさせる者もいた。休息なのに心は全く安まらない。
もともとが酒好きなため、戦争の途中から酒宴の乱痴気騒ぎは復活し、戦後はそれが日常になった。酒宴で全てが決まっていたと言っても過言ではなかった。厄介なのはただでさえ酒癖が良くないのに、スターリンは動脈硬化により、脳への血流が悪くなり、ブチ切れやすくなっていた。周囲の者にしてみればこれまで以上にスターリンに気を遣わなければいけない。いつ消されてもおかしくないことは彼ら自身が一番知っていた。