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 レーニンの後継者にはトロツキーやジノヴィエフなど6人の名が挙がっていた。レーニンは、6番目の男であったスターリンを党書記長から外すように遺言したものの、時すでに遅し。第6の男によって他の5人は次々に殺されていった。

 当時、人民を虐殺した指導者としてはヒトラーが歴史に名を残すが、スターリンはそれを大きく上回るとされる。

 1937、38年の2年間だけでも、約158万人が逮捕され、68万人が銃殺された。1930年代全体では、強制労働による死者数や農村集団化の犠牲者数も含めると、1000万人とも2000万、3000万人とも言われている。

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 ロシアが世界に誇る文学者ドストエフスキーが著した『罪と罰』は、ペテルブルク大学の元学生ラスコーリニコフが、近所に住む金貸しの老婆を殺害する物語だ。犯行の動機は「天才は凡人の権利を踏みにじっていい」という哲学だ。この選民思想を体現したのがスターリンだ。

とにかく飲ませるのが好きなスターリンの酒癖

 彼は74歳まで生きたが、生前の行為は当時、ソビエト社会主義の実現のために必要だったと正当化された。スターリンという天才にとっては凡人の命を1000万単位で奪っても痛みを感じる必要はなかったのだ。

 それにしても、虐殺した人数が大雑把すぎるが、断定できないのは、大規模の粛清のみならず、スターリンの周囲の者が忽然と姿を消すことも珍しくなかったからだ。冗談のようだが、スターリンが気にくわない様子を見せると、その怒りを買った人物の姿が見えなくなったのだ。

 ここで鍵となるのが酒だ。スターリンに宴席や執務席でウォッカを勧められた腹心や古い同志が毒を盛られ、忽然と姿を消す。愛人の何人かも同じ運命をたどっている。後世に、スターリンの粛清の理由に首をひねる研究者もいるが、それはそうだろう。手当たり次第に殺している感は否めない。

「警戒して飲まなければいいのに」と思うだろうが、スターリンは殺すつもりがなくてもとにかく飲ませるのが好きだった。殺すために飲ませているのか、ただただ飲ませているのか判断が難しいから厄介だった。

 夜型のスターリンの宴会は明け方まで続くことも珍しくなかった。部下が千鳥足になるまで飲ませ、それでも、乾杯を繰り返した。部下たちを杖でむやみに殴り、「お前らが私の酒を盗んで飲んだのか」と罵声を浴びせることもあった。パイプで頭を叩くこともあった。部下としては、何を考えているかわからないから従うしかない。