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罪悪感を拭いきれない場合は…

 一方で、実務的な問題とは別に感情的な迷いを断ち切れない人も少なくない。老いて弱々しい親、惨めささえ感じさせるような親を本当に捨てていいものか、そんな罪悪感を拭いきれないときには発想を転換する。太田さんはその切り替え方を次のように示す。

「世の中には子どものいない高齢者がたくさんいる。でも、みなさんふつうに生きてますよね。子どもの世話にならなくても医療や介護は受けられるし、頼れる身内がいない人には相応の行政サービスがあります。つまり、自分が背負わなくてもどうにかなると割り切ってもいいんです」

 子どもがいない高齢者でもふつうに生きている、この事実を心の片隅に留めておく。それは「自分が捨ててもどうにかなる」という気持ちの整理に役立つし、罪悪感を手放すためのひとつの考え方になるだろう。

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 太田さんが言うとおり、毒親との関係性はきれいごとだけでは済まない。昨今報道される凄惨な児童虐待事件からもあきらかなように、非情で非道な親は残念ながら存在する。一見立派な親が絶えず子どもの心を踏みにじり、精神的に追い込むことも少なくない。苛烈な暴力や理不尽な支配を受けてきた人にすれば、自身の苦悩の元凶である毒親との関わりなどあまりにつらいものだろう。

 自分の人生を破滅させないために親から逃げる、子どもにはその選択があっていい。そもそも毒親が「子どもに捨てられるようなひどいことをしてきた親」ならば、真に責められるべきは彼らであり、あるいは自業自得とも言えるだろう。

どこまで関わるか、一線を引く

 もうひとつの選択肢、「関わる」についてはさまざまな形がある。逃げる、縁を切るといった決定的な断絶を望まない場合には、「少しだけ関わる、少しくらいは助けよう」と考えてみる。できれば「少し」の範囲を具体的に決め、あらかじめ一線を引いておくことが大切、そう太田さんは言う。

「たとえば親が施設入所となったとき、面会には行かないけれど身元保証人にはなるとか、万一のことがあったら葬式だけは出そうとか、自分で自分の関わる範囲を決めておくといいでしょう。地域包括支援センターで相談するときも、ここはやるけれど、それ以外はお願いしますなどというように具体的に伝えてください。また、相談員には子ども側の事情がわかりません。住宅ローンや教育費が大変、失業中、持病がある、そんな事情を話した上で、親との関わり方について相談をすることをお勧めします」