「母が私の首を絞めたり、包丁を突き付けたりするのです。病気のせいだったのか、それとも私が重荷だったのかわかりませんが、あの恐怖と絶望感は忘れられるものじゃありません」

 両親がともに「毒親」だったという、ケアマネジャーの山田さん。親に殺されかけた彼女が、それでも84歳の母親との関係修復を望む理由とは? ジャーナリストの石川結貴氏の新書『毒親介護』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

過去には包丁を突きつけられたことも…ケアマネジャーの山田さんがそれでも毒親の母を、許すことができた理由とは? 写真はイメージです ©getty

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ケアマネジャーの親も毒親だった

 東京都にあるウェルビーイング21居宅介護支援事業所のケアマネジャー・山田理恵子さんは、数多くの在宅介護を扱ってきたベテランだ。認知症の親を抱えた子どもの苦悩を間近に見てきた彼女は、「認知症の人の介護には王道も正解もない」と話す。

「人はそれぞれ個性や生活歴、環境が違います。親を介護するときには『こういうときはこうしなければ』と考えすぎない、そして『私はできない』と自分を責める必要はありません。できないことを無理してがんばるのではなく、ほかの方法を考えたり、ヘルパーやケアマネジャーに協力してもらってください」

 たとえば親が入浴を拒むという場合、介護する子どもは「お風呂に入れなければ不潔だ」、「とにかく入浴させなくては」と思い詰めたりする。そんなときには、「1週間くらいお風呂に入らなくてもどうってことない」、「下着のままシャワーをかけるだけでもいいか」、「たまには銭湯に誘ってみよう」などと別の形を探ってみる。昔は銭湯通いが日課だったという父親なら、男性ヘルパーの派遣を頼んで一緒に銭湯に出かけてもらうなどの方法もあるだろう。

 こんなふうに親の性格や生活環境に合わせて臨機応変に、割り切りながら、できるだけ楽しく、それが介護の基本だと山田さんは言う。その一方、「介護がつらい、毎日うまくいかない、親が憎い、そんな気持ちはよくわかります」とも口にする。彼女自身が84歳の認知症の母を介護している上、実のところ両親ともに毒親だったからだ。

「私の父は事業をはじめては失敗し、借金を作っては逃げてしまうという人でした。子どものころは、父の借金の取り立て屋がしょっちゅう家に押しかけてくる。昔の話ですから、暴力団まがいのコワモテの人が乗り込んできて、そのたびに母と私は逃げるように引越しです。古くて安いアパートや借家、そんなところを転々としていました」

借金取りの恫喝、引越し、困窮…とうとう母はうつ病を発症

 ひとり娘だった山田さんは母と2人で怯え、逃げ回るような暮らしを強いられた。専業主婦だった母は仕事探しに奔走し、清掃員や家政婦、スーパーの店頭で焼き鳥を売ったりして働いた。わずかな収入では母娘が食べていくだけで精一杯、そこにまた借金取りが押しかけて返済を迫ってくる。度重なる恫喝や引越し、日々の生活困窮が追い打ちをかけ、とうとう母はうつ病を発症した。

 当時の山田さんは中学生、母を助けたくても自分では働けず、看病しようにも精神的な病気を理解するには幼すぎる。孤立無援で追い詰められる山田さんに、さらに苦しい出来事が襲いかかった。