とはいえこうした方法はあくまでも山田さんの場合であり、すべての人に共通するものではない。母親の性格や親子の関係性などを踏まえた、彼女なりの臨機応変の対応だ。
しばらくすると母はコンビニの惣菜を買わなくなり、今度はお菓子ばかり食べるようになった。母の家の冷蔵庫を開けるとスポンジケーキしか見当たらないこともあり、山田さんはご飯やおかずを持参するようになる。
1年ほど過ぎると、冷蔵庫に何も入っていない日が現れた。そこで山田さんは母に「受診と介護保険の申請」を勧め、併せて同居を持ちかけた。
「さすがに母も、これ以上は無理だと感じていたようです。介護申請に納得してくれて、ほどなく要介護1と認定されました。今年から私のマンションで同居をはじめましたが、『こんなところに来たくなかった』とか、いきなり文句の連発です。私は専門職ですから、母の言動は認知症特有の混乱なのだと頭では理解できる。でもつい感情が先走って、お母さんは昔からこうだった、ああだったと責めてしまいます。専門職の自分でも親を冷静に見られない、昔から引きずってきた苦しみはそう簡単に消えないものだと実感しましたね」
いつか母と心の底からわかりあいたい
山田さんは母との同居後、「真空パックが開いた」感覚を覚えたという。それまで封をしてきた過去が一気になまなましく現れた、そんな気がしてならない。それこそ小学生のときの話にまで遡り、毒親だった両親への恨みつらみが噴出しそうになったりする。
それでも山田さんが母との同居を選び、主体的に介護に関わろうと決めたのには、大きく2つの理由がある。ひとつはお金の問題だ。
「母には国民年金しかなく1ヵ月の受給額は3万円ほど、それでは特別養護老人ホームに入るのもむずかしいでしょう。そもそも都内の特養は満杯で、要介護5の人でも入れなかったりする。地方の施設や、安いけれど劣悪な無認可施設に入所せざるを得ない高齢者も増えています。私は仕事柄そういう現実を知っているので、お金のない母の先行きが見えてしまう。自分の母親を遠くの施設にひとりで送るのか、劣悪な無認可施設に入れてもいいものかと悩みました」
お金のない母の先行きに悩むくらいならひとまず同居してみよう、そう山田さんは考えた。それは母のためというよりも、「自分の納得のため」だ。