疎遠だった兄の死を突然知らされ、その後始末に追われた5日間を描いたエッセイ『兄の終い』(村井理子著/CCCメディアハウス)。
同書から、著者と兄の折り合いが悪くなるきっかけとなったエピソードを抜粋し、掲載する(前後編の後編/前編から読む)。
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母から「兄の保証人になってくれ」と電話が…
30年前に父が死んだとき、葬儀が終わり実家に戻ると、兄は私を徹底的になじった。
葬式中に兄が母に対して、「ろくに看病もせずに親父を死なせたのはあんただ」と言ったから、私は兄に、「ろくに看病をしなかったのは兄ちゃんじゃないか、それまでいちども病院に来なかったのに、パパが危篤になったらようやくやってきて、廊下でママからお金をもらって帰ったじゃないか」と反撃したのだ。
兄は私を睨みつけたが、親戚の手前、何も言わなかった。その代わり兄は、家に戻った直後に大声で私を罵倒しはじめた。罵倒というよりは恫喝(どうかつ)だった。それはいつまでも続き、母は泣き、私は根負けしてその場から逃げた。
その日を境に、私は兄を兄とは思わなくなり、形式的なつきあいでさえ避けるようになった。母は私と兄の関係に心を痛めたが、最終的に兄の味方をすることを選んだ。私は母との間にも距離を置くようになった。
とうとう兄の引っ越しが決まった日、母は不安そうな声で私に電話をかけてきて、どうしたらいいだろうと言った。
母の声を聞いて暗澹(あんたん)とした気持ちになった。相手が末期がんの母だとわかっていても、「勝手に行かせればいいじゃん」と答えることしかできなかった。母が私に何を求めているのかが理解できなかった。
私にどうしろっていうの? 兄を止めろとでも? 悪いけど、関わり合いになりたくはない。
「近々帰るから」と言うと、私は電話を切った。
この電話から一週間ほどしてからのことだ。母が再び電話をかけてきた。兄が転居先の多賀城市でアパートを借りるが、賃貸契約のために保証人が必要だという。大家さんが、高齢の母以外の保証人をつけて欲しいと言ってきたそうだ。母は、一生のお願いだから、兄のために保証人になってくれと私に懇願した。
私は母の話を怒りに震えながら聞くと、「それは悪いけどお断りします」と言って、勢いよく電話を切った。
すると、直後に兄から電話がかかってきた。
「頼むよ、最後のチャンスなんだ。多賀城で正社員の仕事が見つかったんだよ。お前にだけは、絶対に迷惑をかけない。俺と子どもを見捨てないでくれ。一生の頼みだ」
「絶対に嫌」と答えた。
子どもを見捨てないでくれと言った兄の言葉に猛烈に腹を立てていた。
子どもを盾にするとは、堕ちるところまで堕ちたものだ。兄は、私が断ることができないとわかってやっているのだ。あの人は、すべてわかっていて、そのうえで私にプレッシャーをかけてきている。
私は最後まで嫌だと譲らなかった。
とうとうあきらめた兄は電話の最後に、思い出したように、「それからお袋が言ってたけどな、お前は他人に対して厳しすぎるって。何様なんだ、偉そうにってさ!」と大声で言った。
翌日になって、また母から連絡が入った。母からだとわかっていたので、電話を取らなかった。すると、何度も、何度もかかってくる。仕方なく出ると、母は号泣しながら、「お願いだから」とくり返した。
私が兄のアパート契約の保証人になったのは、こういった経緯だった。