赤ちゃんの死は全て僕の責任
僕は、赤ちゃんを看取るたびに、胃袋に重い石が放り込まれるような感覚を覚えていた。
10年近くも準備してようやく摑んだ初めての派遣。意気込んで乗り込んだはずが、1カ月もすると、胃袋には何十個もの石がたまっていた。チーム唯一の医師であった僕にとって、赤ちゃんの死は全て僕の責任であり、敗北以外の何ものでもなかった。
そんな状況をなんとか打開しようと、僕は休みを返上して1人で診療に当たった。理由はどうであれ、赤ちゃんを抱き上げない現地スタッフに強い口調で指示を出してしまうこともあった。結果、チームの中にわだかまりが生まれ、気がつくと僕は孤立していた。
そんな時、チームリーダーでありプロジェクト・コーディネーターのドミニクに呼び出された。
「お前はチームの和を乱していて、お前と仕事をすることをよく思わないスタッフが少なからずいる。だから、お前が帰る方がチームのためだ」と。
彼の言うことが全て正しいとは思わなかったが、赤ちゃんの死を全て自分の責任と捉えるあまり、周りの声に耳を傾けることを忘れていたことを気づかされた。同時に、10年かけて準備してきたことを、こんなかたちで終わらせることは到底できないと感じていた。彼らの言うことに耳を傾けて、アプローチを変えるから、もう一度チャレンジさせてくれと懇願した。
2週間の猶予を与えられた僕は、納得いかないながらも大きくアプローチを変えた。
現地スタッフには、英語と片言のアラビア語でできるだけ声をかけるように心がけた。指示を出して舌打ちされて気落ちすることもあったが、オムツを換えてくれないスタッフがいれば僕がオムツを換えた。時間の許す限り、率先して、赤ちゃんを抱っこし、授乳、沐浴を行った。
赤ちゃんのベッドに一つずつ名札をかけて、スタッフに赤ちゃんを名前で呼ぶように促した。たとえ赤ちゃんの名前が母親や父親につけてもらったものでないとしても、名前を呼ぶことで一人ひとりの赤ちゃんの尊さのようなものを感じてもらえたらと思ったからだ。