アメリカから帰国し、地元の公立中学校に転入した帰国子女・みずきは、転入先の公立中学校でのあまりの閉鎖性に悩まされた。そして、大学は、日本人学生の英語力を上げて「グローバル人材」を育成すること、慣れ親しんだ言語で学位を得られる環境を整えて留学生を呼び込むことを主な目的に行われるEMI(English-Medium Instruction)実施学部を卒業。
しかし、就職後、彼女は複雑な心境を抱きながら働き続けているという。いったいなぜなのか。佐々木テレサ氏と福島青史氏の共著『英語ヒエラルキー グローバル人材教育を受けた学生はなぜ不安なのか』(光文社新書)の一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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卒業後の話——「ちょっと変」と評される疎外感
さて、そんなみずきだが、現在はEMI実施学部を卒業し、就職して3年が経とうとしている。現在の働いている自分について、みずきは次のように語る。そこには現在の苦悩が現れていた。
みずき:新卒1、2年目は英語を特に使うこともなく、ただ日本語が変な、使えない新卒なんだよねぇ。
みずきは、英語能力を自分の価値として就職活動をしていた。しかし、就職してすぐに英語を使って仕事をするわけではなかった。さらにはみずき自身の日本語の拙さを感じ、帰国子女としての経験と、EMI実施学部での経験による日本語の不安が現れている。
筆者:仕事関連で困ってることはある?
みずき:見た目が日本人なのに、なんかちょっと違うと思われてるんだよね。上司にも「なんか変」って言われてて、でも具体的にどこが変なのかは言語化されない、してもらえない。どこが変なんですかって聞いたこともあるんだけど、「変って言われてどこが変か聞き返すのがそもそも変」って言われたんだよね。
みずきは、日本人としてのアイデンティティを持っているものの、他者からは、普通の日本人と違ってちょっと変と評されているようだ。
同じような経験は前述のとおりのぞむもしていた。海外経験がある人、EMI実施学部で学んでいた人が「ちょっと変」と評されてしまうのは共通のようだ。そしてその「変さ」を具体的に伝えてもらえないのもまた同様である。
このようにして、EMI実施学部の卒業生は、「普通の人と私たち」という線引きを行なっていく。そしてそれは周囲と馴染めない疎外感となっていくのだ。