かれこれ五年ほど前、絶滅危惧種オランウータンに関する取材でマレーシアのペナン付近を訪ねた時のこと。車窓から見える水田の景色が途切れ、人工的な「池」が連なり始めると、ガイドが「ここにも絶滅危惧種がいる」と教えてくれた。希少なアロワナを育てているという。有刺鉄線で囲まれたものものしい雰囲気について「非常に高価だから」と説明されたが、その時はピンとこなかった。
東南アジア、アマゾン流域の国々を中心に十五カ国を、アロワナを求めて旅をした著者がまとめた本書を読んで、やっと合点がいった。アロワナは野生での絶滅が危惧されるものの、養殖個体が流通し高額で取引される。一匹三千万円にもなることがあり、盗難はもちろん、時にマフィアによる誘拐や殺人事件まで起きる。まさにアロワナ・バブルだ。
著者はシンガポールのアクアラマ(観賞魚国際コンテスト)に参加するなど、比較的マイルドなところからアロワナの世界へと踏み込むが、その背後には矛盾と皮肉に満ちた現実が横たわる。国際自然保護連合のレッドリストに登録されたことが裏目に出て、「珍しい魚」としてのイメージが確立して市場が生まれたこと、今も野生個体の違法売買などが絶えないことなど、暗澹たる事実が描き出される。
そんな中、著者は、野生のアロワナを見たいという奇妙な情熱にとらわれる。アロワナをめぐる闇を垣間見て、「無垢な野生」に救いを求める心理があったのではないかと想像する。
しかし、生息地は、違法捕獲、密輸などの現場でもある。数々の危険を顧みず、インドネシアの首狩り族の村やら、内戦で不安定なミャンマーの立ち入り禁止区域やらを訪ねても、野生のものには出会えない。
結局、アマゾン川の支流で思いを遂げるのだが、その時の感慨は「ただの魚」だった。それを確認するためにこれだけの旅を要したわけで、絶滅危惧種ビジネスの「呪い」はかくも深い。
エミリー・ボイト/科学と文化が専門のジャーナリストとして『ニューヨークタイムズ』等に寄稿。ピューリッツァー研修旅行奨学金を得て、アロワナ探検調査を行う。昨年、米国科学ライター協会社会科学ジャーナリズム賞を受賞。
かわばたひろと/1964年、兵庫県生まれ。小説家、ノンフィクション作家。近著に『我々はなぜ我々だけなのか』(ブルーバックス)等。