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「これが本当に『売れる』ということや」と実感した瞬間

――その後は東京進出に4回失敗したそうですが、5回目の進出で2007年からの『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)にコントで出演。大ブレークしましたね。忙しさのピークは?

木本 軌道に乗ったときの仕事の入り方はめくるめく毎日で、わけがわからないまま。僕らなんか絶対出るの無理だと思っていた、あらゆるゴールデン番組に出ました。4~5本の仕事をハシゴして、睡眠は3時間寝れたらいいくらいの状態が数年続きました。

 本当に忙しかった日は、新幹線の始発で大阪に行って、暑い中を1日中、海岸ロケ。最終の新幹線で東京に帰ってきて、深夜に舞台の稽古をして、朝になってまたロケ車が待ってて、埼玉に向かう間にスーパー銭湯で15分だけ入浴して……。それで朝の5時くらいに着いたコントの会場に、エキストラの方がずら~って待ってるんですよ。それで1日が始まるとか。

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 関西で若くて人気があった時期は、ファンの子の『キャー!』という歓声を聞いてました。でも全国ネットで売れたら、いろんな人の『ワー!』という歓声に変わった。ロケとかで全国どこに行っても、地元の人が喜んで歓迎してくれる。ああ、これが本当に『売れる』ということやと。

©時事通信社

木下 移動しか寝るタイミングが無いんで、「移動しろ!」とか思ってました。

 僕が今でも思い出に残ってるのは『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のコーナーで、ブレイク芸人として取り上げられて出演した時のことです。ジョイマンとかと一緒だったんですけど。その時、ふと“引き”の視点で自分が見えて、「ああ俺、『いいとも』で紹介されるような、旬の芸人って枠に入ってるんや。テレビで見る人の中に入ってる」と実感したんですよね。

全盛期の収入は月によってまちまち

――その全盛期の収入は? 年収で数千万はおありだったのでは。億に行きましたか?

木本 いやいやいや、そんなしれてますよ。でもね、僕らなんか、単価も安かったし、全然ですよ。まず数万円とかしか無かった収入が、月数十万とか、徐々に増えて。月70万いったとか、月100万いったとか、まちまちなんです。