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 少し時間が経って、なんと兄貴の方から連絡があった。恐る恐るメールを開いてみると、そこに書かれていたのは僕の背中を押してくれるような、優しく力強い言葉だった。

 本来であれば縁を切られてもおかしくないことをした僕に対してこんなことを言ってくれるなんて……。僕は胸が詰まって、すぐに返信することができなかった。

 思い返せば、僕が19歳のときに事件を起こして騒ぎになったときも同じだった。プロとして大活躍していた兄貴から電話がかかってきて、兄貴はぽつりとこう言った。

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「俺が野球やめたらいいんか?」

 これまでにも書いてきたように、僕がやってきた悪事は自分が好き勝手にやってきたことで兄貴とは関係ない。だが、兄貴は背負わなくていい責任を感じていたのだ。僕は、

「そんなこと言わんといてくれよ!」

 と兄貴に詫びることしかできなかった。

 それは今回の野球賭博の件でも同様だ。何度でも言うが、兄貴には感謝と尊敬しかない。 

兄のダルビッシュ有氏 ©文藝春秋

ようやく気付いたこと

 野球賭博の件で、僕の認識は大きく変わった。これまで自分がいかに周りに甘えて過ごしていたかということに、ようやく気付き始めたのだ。

「兄に対してコンプレックスは感じていないし、名前に甘えることはない。自分は自分の力だけで、好きに生きていく」

 僕はいつも、それをテーマに生きてきたつもりだった。でも、本当にそうだろうか。今回の逮捕だってそうだが、自分の人生を振り返ってみればみるほど周りに助けられ続けてきた人生ではなかっただろうか? 

写真はイメージです ©iStock.com

 最近よく思い出すのが、15歳のころの母親とのエピソードだ。

 当時僕は少年院に入る前で、鑑別所に入れられていた。母親は忙しい合間を縫って毎日面会に来てくれ、僕にコーヒーやフルーツジュースを差し入れてくれた。

 しかしある日、いつもの時間になっても母親が現れないことがあった。

「なんや、今日は来うへんのかい」

 不安なのか苛立ちなのか、とにかくよく分からない気持ちで不貞腐れているところに、先生が走ってきて言った。