「翔くん、お母さんが来てるよ」
面会室に行ってみると、ちょうど母がバタバタと部屋に入ってくるところだった。
「今日は来うへんのかと思ってたわ」
「ごめんごめん、ちょっといろいろ忙しくて……」
自分でも意外なほど、母の登場に喜んでいる僕がいた。
当時はまだ僕もガキで、せっかく面会に来てくれた母に対しても素っ気ない態度をとることがカッコいいと勘違いしていたけど、日課のようになっていたこの時間に気付かないうちに甘えていたのだ。母の深い愛情に、今ならちゃんと気付くことができる。
もちろん父親も同様だ。
どうしようもなかった僕にアリゾナの高校を見つけてきてくれたのも父だし、団野村さんと話をつけて僕に仕事を紹介してくれたのも父だった。
僕が得たものは“悪名”だけだった
20代になりたてのころ、羽曳野で留置されていた僕のところに面会に来てくれたときの父の言葉は、今でも心に残り続けている。
「翔、いいか。ライオンは人間の肉を食べないが、一度その味を覚えてしまうと今度は人間を探し続けるようになる。薬物も同じだ。一度味わったら、なかなかそれを忘れるのは難しい。けど、お前がここで諦めるような人間じゃないことを俺は知っている。大変だけど、頑張って薬やめような」
人生を振り返ってみると、このような大切な言葉やエピソードをくれた人がたくさんいることに僕は気付いた。そしてそれらの思い出は、今でも僕を支え続けてくれている。もちろん両親以外にも、兄貴や弟、そして仲間たちから数えきれないほどのものをもらってきた。
それなのに「自分ひとりでやってきた」なんて、僕はなんて思いあがっていたのだろう。ただ粋がっていただけで、実際はみんなに育ててもらったガキでしかなかったのだ。
これまで好き勝手に僕はやってきた。
その結果、僕が得たものは“悪名”だけだった。