3人の若者が雨宿りをしていた。下肥(しもごえ)買いの矢亮(池松壮亮)と紙屑買いの中次(寛一郎)、寺子屋で子どもに読み書きを教えるおきく(黒木華)。厠のたよりない庇の下で、身を縮め立ちすくんでいた。
江戸時代、厳しい境遇のなかでも生きることを捨てず逞しくあった者たち。阪本順治監督は映画『せかいのおきく』で、時代劇を通してさまざまなことを見せている。
「過去の物語のようでも、同じような暮らしはいまも世界のあらゆる場所にありますよね。日本に生きていると、当たり前になった平和と誰もが手にしたツールによって人間の感情が平坦になってしまった、そう感じます。本来、人間関係とは身分が異なっても面と向かうなかで成立してきたはずです。だから懐古や郷愁の話ではないんです」
《糞(クソ)は俺らの食い扶持だよ。アイツらの糞でメシ食ってんだよ。だからありがたく頂戴してくんだよ》。劇中、矢亮が吐き捨てる。尻から落ちれば見向きもされない。されどそれなしに世界は回らない。明日、我々が口にするのは糞と土が育んだ賜物なのだ。
「美術監督で、今作ではプロデューサーも務めた原田満生とは30年近い付き合いです。彼はサーキュラ・バイオエコノミー(循環型共生経済)をテーマにした企画を持ってきた。啓蒙的な作品は僕には撮れない。でも取り組みの事例として資源の乏しい江戸時代は糞尿を畑に撒き野菜を栽培したと書かれていた。そこから低い視座、汚いものから世界を見たら市井の暮らしを通した人の物語にできるというイメージが広がりました」
食べたら厠へ。スクリーンには、武家にも長屋の住人にもある生活が映し出される。
「僕が子どもの頃はまだ目に見えるものだったけど、いまはそうではなくなりましたよね。だからこの映画を観て不快に思う人はいるかもしれない。ちょっと数が多すぎるんでね(笑)。でも、あえて見せている。我々も覚悟の上で作りました。もちろん小道具なんですけど、武家屋敷のもの、長屋のものと、当時の食生活から研究して用意しました」
モノクロ、スタンダードサイズで製作された本作。そこには時代劇という理由だけではないものが込められている。
「コッポラはカラー作品の製作現場でもモノクロモニターを利用していました。撮りたいことに集中するため、余計なものを排除したんです。情報を制限することで、俳優の表情などの見て欲しい部分がクローズアップされる。モノクロームだからこそ、いつの時代なのかということを超えた物語として受け止めて欲しいんです。あえて言うと、この作品の三人の主人公は苦しくて困窮していて、誰からも手を差し伸べられずに生きている。でも、めげていない。若い人に、彼らの生き方から何かを拾ってほしいんです」
単色に覆われた閉塞感は、「じぶん」や「主観」を思わせる。だが本作は時おりスクリーンが色づき、視界が一変する。その一瞬、無限に広がる「せかい」に包まれたような錯覚を覚える。
さかもとじゅんじ/1958年、大阪府出身。89年、赤井英和主演『どついたるねん』で監督デビューし、ブルーリボン賞作品賞など数々の映画賞を受賞。2000年公開の藤山直美主演『顔』では日本アカデミー賞最優秀監督賞、キネマ旬報日本映画ベスト・テンで1位など主要映画賞を総なめにした。
INFORMATION
映画『せかいのおきく』
4月28日公開
http://sekainookiku.jp/