『朝ドラ』出演決定、気づけばデビュー
大阪出身の田中――名前の「裕子」は芸名では「ゆうこ」だが、本名は「ひろこ」と読む――は、中学時代に父の転勤で札幌に移り、明治大学に入るため上京するまですごした。大学では文学部演劇学科に在籍したが、俳優になりたかったわけではないらしい。卒業に際し、新劇の名門である劇団・文学座を受験したのも、照明の仕事をやりたかったからだという。
しかし、文学座の研究所に入った年の秋頃、勧められるがままに翌1979年放送のNHKの朝ドラ『マー姉ちゃん』のオーディションを受けると、漫画家の長谷川町子をモデルにした準主役(主人公のすぐ下の妹役)に抜擢され、気づけばデビューしていた。
「セックスの臭いみたいなものを…」
デビューまもない24歳のときのインタビューでは、女優という職業に興味を持ったきっかけについて、《母が映画が好きで、よく映画には連れて行ってもらってた。小さいなりに自分で楽しんでたと思うんだけど、女優さんというのを一番最初に感じたのは、性の雰囲気というんですか、セックスの臭いみたいなものを、ものすごく感じましたね》と語っていた(『文藝春秋』1980年2月号)。
田中自身もこのあと、作品のなかで性の雰囲気を匂わせる女性を何度となく演じ、評価を得ていくことになる。映画『北斎漫画』(1981年)では、浮世絵師の葛飾北斎の娘・お栄を10代から70代まで演じるなか、父の描く枕絵のモデルになるため、あっけらかんと裸になってみせたりして話題を呼んだ。
かと思えば、落合恵子の小説が原作の映画『ザ・レイプ』(1982年)では、性暴力を受け、心に深い傷を負いながらも加害者を告訴するOLを演じた。当時はもっぱら体当たりの演技が評判となったが、いまにして思えば、テーマ的には時代を先取りしていたともいえる。
そうした流れのなかで主演した『おしん』でも、質素な役にもかかわらず、《裕子ちゃん本人は色気を隠そうとしてるんだけど、溢れ出てしまっている》と、親友役で共演した東てる美に言わしめた(『週刊現代』2019年6月15日号)。焼酎のCMで、あでやかな着物姿で「タコが言うのよ」と語りかけ、世の男性の心をつかんだのも、このころである。
40歳になる前後、90年代半ばに出演したウイスキーのCMでは、若い男性から恋心を寄せられる女性を演じた。このうち、市井のどこにでもいそうな弁当屋の店員に扮したバージョンでは、客の思いがけない言葉に、何とも言えない表情を浮かべた彼女が印象深い。当時20歳ぐらいだった筆者の周囲でも、その不思議な魅力に引き込まれたという友人が少なくなかった。