現場に入るや、一気に雰囲気をつかんで役に反映させる能力が図抜けているということだろうか。『おしん』の撮影中も、スタジオに本番5秒前のベルが鳴るや、《その瞬間スイッチが入って、いつもの裕子さんがおしんになってしまう》と、夫役で共演した並樹史朗が証言している(『週刊現代』2019年6月15日号)。
女優の仕事は「楽なものじゃない」
ただ、当の田中は、《女優という仕事は、私にとってはそんなに楽なものじゃないんですね。つまりそれほど楽しんでもいないんです。だからなるべく楽になりたいんですけどね》とも語っていた(『リュミエール』1988年夏号)。
「楽をしたい」「楽しみたい」とは、彼女が20代のときから繰り返し口にしてきたことである。40代半ばには、女優を続ける理由として《朝から掃除、洗濯ばかりしていたら飽きるだろうなと思うから、その意味では女優という仕事があるというのは、毎日の暮らしの中で、ないよりは楽だと思う……》と述べ、聞き手の歌人・水原紫苑を驚かせた(『太陽』1999年1月号)。
もっとも、田中は自分の演技に自信があるからそう言ったのではない。むしろ、表現をせずにいられない自分に劣等感があるという。同じ記事では続けてこんなことを語っている。
《今はやっぱり、普通に生活しているような人を見てて、きれいだなと思うお母さんとか、こんなふうに、あまり表現しなくてもいられるような人が素敵に映りますね。例えば「私ってこう」などと言わなくてすむ、そんなふうになりたいねって。/――だから、なれないにしても、人に対して表現しなくてもいい自分というのが、楽なような気がして来ましたね。なるべく気を病まないで、お気楽の極楽で行きたいですね(笑)》
矛盾をはらんだ「究極の目標」
表現を一切せず、作品のなかでも、ただあるがままでいたいというのが、女優・田中裕子の究極の目標ということだろうか。だが、そもそも表現せずに演技することなど可能なのか? 矛盾をはらみつつも、公私を通じてさまざまな経験を積み重ねた田中は、50歳を目前にしてようやく《女優という仕事は決してラクだとは思わないけれど……でもこのごろ、少し、楽しいの》と語った(『メイプル』2005年3月号)。