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 実際に〈アダマン〉ではそのように人々を扱っていて、「こちらは治療中の患者さんです」なんて紹介は絶対にされません。もし「この人は患者さんで、この人は看護師です」などと示してしまえば、この映画は〈アダマン〉の方針とは真逆のものになってしまっていたでしょう。

© TS Productions, France 3 Cinéma, Longride - 2022

――〈アダマン〉の方針と監督が映画を撮るうえでのポリシーとが一致していたわけですね。

フィリベール そうですね、私たちの間にはいくつもの共通点があったと思います。たとえば私は映画を「耳で撮る」とよく言います。撮影をする際には、人々にインタビューをして話をしてもらうのではなく、一緒に会話することを心がけ、彼らが自由に語った言葉を集めていく。つまり私にとって映画を撮るとは人々の話を聞くことなのです。そしてそれはまさに〈アダマン〉で行われている方法です。医師や看護師は患者の言葉に耳を傾け、根気良く彼らの話を聞きつづけます。そうしてその人が何を求めているのか、どんな場が最適なのかを考える。つねに自立した相手として彼らを見ているのです。

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© TS Productions, France 3 Cinéma, Longride - 2022

――この映画の最初と最後に、船のブラインドがゆっくりと開いて光が差し込んでくる美しい場面がありますね。この場面を入れた理由を教えていただけますか。

フィリベール 最初にブラインドが開くのは、目覚めの瞬間のメタファーのようなものです。目をゆっくりと開け、肺を開いて息を吸い込む。〈アダマン〉がゆっくりと目を覚ますわけです。最後のシーンでも同様にブラインドが開くのですが、冒頭とは違い、季節は冬であたりには深い霧が立ち込めています。映画はエンドクレジットに近づき、この貴重な場所がいつまで存在できるだろうかという疑問も投げかけられる。それでもいつものように〈アダマン〉の窓は開き、人々を歓迎しつづける。そんな希望をこの最後のシーンにこめたつもりです。

Nicolas Philibert/1951年、フランス生まれ。聾学校、精神科診療所、美術館など様々な場所を舞台に傑作ドキュメンタリーを発表してきた。代表作に『すべての些細な事柄』(96)『ぼくの好きな先生』(02)『人生、ただいま修行中』(18)など。