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フィリベール 何よりも静かに落ち着いて会話ができる場所を探しました。というのも〈アダマン〉ではいつもいろんなワークショップが開かれていたり、スタッフの会議をしていたりしていて、かなり人が出入りするんです。必要に迫られて毎回場所を変えていたわけですが、結果的に、〈アダマン〉のいろんな表情を紹介できてよかったと思います。

© TS Productions, France 3 Cinéma, Longride - 2022

――特に素晴らしかったのが、船のデッキである女性と会話をするシーンです。最初は彼女が自分の話をしていたのに、途中から、彼女がカメラを回す監督や録音スタッフにどんどん質問を投げかけていきます。インタビューする側とされる側が入れ替わったようでとてもおもしろかったです。

フィリベール ああいう場面は、私の映画では決してめずらしくありません。ドキュメンタリーを撮る場合「私がここにいないかのように話してください」とお願いする監督も多いですが、私はむしろ「私がここにいると思って話してください」とお願いしています。私が撮りたいのは、ある出会いとそこから生まれる関係だからです。

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 この映画が映すのは、監督である私を通して、アダマンに来る人々と私たち映画の製作チームが出会い一つの関係が作られた、という事実です。そして映画を通して観客との間にも出会いと関係が作られる。そういう絆を描くのが、私の映画の撮り方なのです。

© TS Productions, France 3 Cinéma, Longride - 2022

正常か正常でないかの境目は非常に曖昧である

――監督が以前に撮られた『すべての些細な事柄』では、精神科診療所を舞台にしながら、患者や医師、看護師との間に明白な区別がつけられていないのが印象的でした。『アダマン号に乗って』ではさらにその境界線が曖昧になっているように感じました。彼らの肩書きや病名を明らかにしなかったのは、意図的だったのでしょうか?

フィリベール もちろんです。病人であっても病人でなくても私たちはみな複雑な存在であり、病気の名前だけがその人を表すわけではありません。疾患を持っている人もみなそれぞれに趣味があり、色んなことに関心を抱いている。そういう個々の存在をきちんと描きたいと当初から考えていました。

 また、精神疾患を持つ人の多くは不安や苦しみを味わい孤立しがち。だからこそ彼らには「あなたは普通の人で私たちの間に垣根はないんだ」と伝えなければと思いました。観客にも、正常か正常でないかの境目は非常に曖昧であること、私たちの間にはたくさんの共通点があると理解してほしかったのです。