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病や死と向き合い……看護学生のドキュメンタリーは何にカメラを回さなかったか

ニコラ・フィリベール(映画監督)――クローズアップ

2019/11/02
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『ぼくの好きな先生』『音のない世界で』など数々の傑作ドキュメンタリーを手がけてきたフランスの名匠ニコラ・フィリベール。小さな声に耳を傾け、多様な人々の日常に寄り添い続けてきた監督の最新作『人生、ただいま修行中』が11月1日より公開される。カメラを向けたのは、パリ郊外、モントルイユのクロワ・サンシモン看護学校。2016年に塞栓症で救急救命室に運ばれ、数週間の入院生活を送ることになった監督の実体験がきっかけで誕生したという本作。人種や宗教も様々な看護師の卵たちの奮闘ぶりが丁寧に描かれる。

ニコラ・フィリベール監督

「修業の場は映画を撮るには最適な場所です。何かを学ぶ人たちはみな自信がなく不安定。揺れ動く感情が存在する場には、感動的な場面が豊かに現れるもの。それに学校を舞台にすることで、観客にも看護という職を学ぶ大切さをわかってもらえますから」

 映画は3部構成。学校での実習、病院での研修、指導官との面談の様子が映される。

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「実習では人形を相手に採血や注射の練習をしていた学生が、病院での研修で現実の患者さんを相手にする。フィクションの次元から現実の空間に放り込まれるわけです。1日に何軒もの病院を回り素早く撮影するのに苦労しましたが、患者にとっては退屈な入院生活のいい気晴らしになったようで撮影を楽しんでもらえました。撮影チームとの間に共犯関係のような絆が生まれる瞬間もありました。学生たちはみんなにじっと見られて緊張していましたけどね」

 その後、学生は指導官と一対一で面談し研修での挫折や苦しみを吐露する。ここでは宗教をめぐる問題などフランス社会の複雑さも垣間見える。

「指導官との面談は重要な時間です。病院での研修で、学生たちは病に苦しむ患者さんと接し、死とも向き合わなければいけない。そのショッキングな体験を教師に話すことで辛い思いを共有するんです。対話の中で互いにどんな感情が生まれるのか、その様子を捉えるため2台のカメラで両者の顔をしっかり映しました。ただし撮影チームは必ず面談の終了15分前に退出する。カメラ無しで話せる時間を確保したからこそ、学生も撮影を了承してくれたのでしょう」

 カメラは被写体の人生に踏み込みすぎない。病院でも、排泄や入浴介助などデリケートな場面では決してカメラを回さなかったという。

「人生そのものを映すドキュメンタリーの場合、被写体になってくれる方々に強い責任感と繊細なデリカシーを持たなければいけない。決して何でも撮っていいわけではないんです。私は、監督が映画のすべての権利を持ちそれを行使していいと考えたことは一度もありません。カメラを持つことは、被写体に対して権力を持つこと。その権力を濫用することは絶対にあってはならない。現代は、SNSなどですべての映像が可視化されてしまう映像社会。映像を扱うにはもっと尊敬の念を持ち、注意深くあるべきです」

 適度な距離感があるからこそ、強い感動が生まれるのだ。

Nicolas Philibert/1951年、フランス生まれ。聾学校、精神科診療所、美術館など様々な場所を舞台に傑作ドキュメンタリーを発表してきた。監督作の日本公開は『かつて、ノルマンディーで』以来11年ぶりとなる。

INFORMATION

映画『人生、ただいま修行中』
https://longride.jp/tadaima/

病や死と向き合い……看護学生のドキュメンタリーは何にカメラを回さなかったか

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