灰色の空の下、ヒジャブ姿の少女たちが雪遊びに興じている。その様子は学校の昼休みのよう。だがここにいるのはみな、強盗、殺人、薬物、売春など、様々な罪で捕まった少女たちだ。

 11月2日公開の映画「少女は夜明けに夢をみる」は、イランの国営少女更生施設を描いたドキュメンタリー映画。監督は、イランを代表するドキュメンタリー作家のメヘルダード・オスコウイ。更生施設で暮らす少女たちの多くは、家庭で虐待を受けるなど不幸な過去を抱えている。少女たちは、自分が犯罪を犯した理由と経緯をカメラの前で語る。その声を聞きながら、彼女らが生きる残酷な現実に胸を打たれる。一方で、時に涙を流し、時には笑いながらあけすけに語る様にも驚かされた。

メヘルダード・オスコウイ監督

「ドキュメンタリーを撮る際に重要なのは取材対象とどう信頼関係を築くか。私はまず彼女たちに自分をさらけ出しました。どういう人生を歩んできたのか、どんな家族がいるのか、すべてを話し、聞きたいことがあればなんでも聞くように伝えました。やがてこの人になら話をしても大丈夫だという信頼感が彼女たちに生まれ、そこで初めて撮影を始めます。そのときにはもう彼女たちはカメラの存在をすっかり忘れていました。

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 私の父と祖父には、政治犯として刑務所に入れられた経験があります。刑務所や更生施設という題材に興味を持ったのはそのためでもあります。15歳の時には父が経営する店が破産し、生きる希望を失った私は自殺を決意しました。結局未遂に終わりましたが、そういう経験があったからこそ、私には少女たちの痛みがよく理解できたんです」

 痛みに耐える少女たちの姿を真摯に捉えながらも、映像は実に美しく静謐。なかでも少女の傷だらけの手を映したショットが印象的だ。

「多くの監督たちから教えを受けました。手には魂が宿っていると教えてくれたのはブレッソン監督。小津安二郎監督からは静的な画面の美しさと孤独の描き方を学びました。キアロスタミ監督からは、カメラはどれくらい人物に近づき離れるべきかを教わりました。もう1人、大事な教えを受けたのは溝口健二監督。彼の映画では、カメラはいつも対象との間に一定の距離を保っています。これは観客にとって理想的な方法です。背中から人を映すことで、その人が何を考えどんな表情をしているのか、観客は想像できるからです。正面からアップで顔を撮ると想像の余地を奪いかねない。私は観客に自由を与えたい。映像の中の民主主義を大切にしたいんです」

 自由さを残すためには、厳密な画面設計も必要となる。

「照明やカメラ位置、レンズの種類など、すべては撮影前に決めておきます。全体のイメージを詳細に書いたノートを作るんです。ここでは手のクローズアップが欲しいとか、それぞれのイメージに合う写真を集めてノートに貼りつける。優しい光が欲しい場合は柔らかい素材のシーツを切り取り貼りつけます。スタッフはそれを見て僕の意図を理解し準備してくれるんです」

 撮影が終わり編集作業に入ると、今度は無駄なものを入念に削る作業が行われる。

「以前、キアロスタミ監督に素晴らしい助言をいただきました。映画を見た人それぞれが自分の頭の中で新たな映画を見いだすような作品を作りなさい、と。私の映画はどれも説明が少なく雄弁ではありません。でもたとえもっと説明をと求められても絶対にそうしたくない。できるだけ要素を削り余白を残すことを何より大切に考えています。そうすることで、映画を見る人たちが、自分だけの映画、もう一つの物語を作れると信じているからです」

 目を伏せた少女の顔。静かに去って行く後ろ姿。沈黙の余白こそが、少女たちの痛みと悲しみを雄弁に語っている。

Mehrdad Oskouei/1969年、テヘラン生まれ。イランを代表するドキュメンタリー監督。過去に少年更生施設を題材に2作品を制作。最新作は『少女は夜明けに~』の続編的作品。

INFORMATION

『少女は夜明けに夢をみる』
http://www.syoujyo-yoake.com/