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駅ビルから広場に出ると「いました、いましたよ。黄金に輝く…」

 さすが県都というべき立派な駅ビルを持つ高架の駅で、東海道本線に加えて飛騨高山に向かう高山本線が乗り入れている駅だ。駅ビルの中にはちゃんとドトールコーヒーも入っている。

 そして駅ビルから駅前広場に出ると……いました、いましたよ。黄金に輝く信長公。比喩でもなんでもなく、本当の意味で黄金に輝く信長公が、岐阜駅前広場のいちばん目立つところにそびえ立って出迎えてくれました。

 

 織田信長と岐阜の関係はあまりに深い。戦国時代、岐阜の町は井ノ口といい、斎藤氏が治めていた。斎藤道三が長良川に面する稲葉山(現在は金華山)に城を築き、麓に城下町を整備したのが町の歴史のはじまりだ。

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 1567年に尾張の織田信長が美濃に侵攻して斎藤氏を滅ぼし、稲葉山城に入城。このときに町の名を岐阜と改めて、ここを本拠地としていよいよ本格的に天下取りへと乗り出していった。尾張の商人たちも岐阜城下に移され、城下町には楽市楽座を実施して商業都市としても繁栄していったという。

 つまりは簡単にまとめると、岐阜と名付けて今に続く町の形を整備したのが織田信長公というわけだ。もっとおおざっぱに言えば、岐阜の町の生みの親。そりゃあもう、駅前に黄金の信長公が立っているのもうなずけるし、キムタクさんが信長公に扮してパレードをするのもとうぜんのなりゆきなのだ。

 では、そんな信長公がつくった岐阜の町はどんなところなのだろうか。少々歩いてみることにする。

駅前でいちばん目につくのは…

 岐阜駅前に立って、いちばんに目に付くのは駅のすぐ脇に立っている背の高いビルだ。岐阜シティ・タワー43というビルで、160mを超える岐阜県ではいちばん高い建物なのだとか。ちなみにお城のある金華山は標高300mを超えるのでそれよりは低い。駅前の再開発に伴って2007年に完成した。

 このビルと駅ビル、そして金ぴかに輝く信長公、よく整備された緑豊かな駅前広場。これを見れば、岐阜の町はなかなか現代的だという印象を抱く。

 

 ところが、駅からお城のある山にむかって北に歩くと、必ずしもそうともいえないことに気づかされる。というのも、駅前の道を渡ったすぐの所から、いかにも昭和の面影を色濃く残した細い商店街が北に向かって伸びているのだ。

 

 さすがに県都のターミナルの駅前、飲食店も目立つ。ただ、その間には「繊維」の名を掲げた看板を持つビルがいくつも並んでいる。そのどれもがどことなくレトロな雰囲気を醸しており、駅そのものの現代的な雰囲気とは正反対。

 駅前だから人通りは多くて賑わっているが、ひょっとすると岐阜は地方の県庁所在地の駅前にしてはなかなか奥深い町なのかもしれない。