ひと昔前、「大垣夜行」という列車があった。文字通り、東京駅から大垣駅までを走る夜行列車で、特急や急行でもなく普通列車の夜行だった。
東京駅から大垣駅まで、その距離は400kmを超える。夜通し走ってこの距離を結んでいたというわけだ。高速道路も新幹線も充分ではなかった時代には、そうしたただひたすら夜の闇を駆け抜けるばかりの普通夜行列車がいくつもあった。大垣夜行は、そうした時代の名残のようなものだった。
……などと、ノスタルジックな話をするつもりはなくて、大垣夜行が走っていた時代、東京駅を出発する列車の中で、いちばん遠い終着駅は大垣駅だったということになる。誤って乗ってしまったら(そんな人がいたかどうかはわからないが)、そして眠りこけてしまったら、大月や南栗橋どころではない、まったくの未知の町に連れて行かれてしまう時代があったのだ。
「大垣」にはどうやって行ってた?
大垣夜行そのものは、1996年に全席指定の「ムーンライトながら」に引き継がれ、2009年以降は青春18きっぷユーザーばかりが乗るような臨時列車となり、そしてコロナ禍のどさくさで姿を消した。
だから、いまはどうしたって終電で眠りこけて大垣駅に連れて行かれるようなことはなくなった。が、大垣夜行からムーンライトながらへと続いた夜行列車の歴史の中で、「大垣駅」の放つ存在感は小さくない。
“東京からいちばん離れていたナゾの終着駅”「大垣」には何がある?
で、問題はその大垣駅がどこにあるのか、だ。簡単に説明すれば、岐阜県の南西部、木曽三川のひとつである揖斐川が生み出す扇状地の北の端にあり、教科書でも習った“輪中地帯”に位置している。
もう少し具体的にいうと、岐阜県都の岐阜市の西にある西濃地域の中心都市である大垣市にあり、名古屋駅からだと東海道本線の新快速に乗って約30分。中京圏の東海道本線下り新快速の終着駅も大垣で、つまり東京の人はともかく名古屋の人たちは、気がつけば大垣などという事態を経験しているのかもしれない。
大垣駅からさらに西に向かうと、ほどなく天下分け目の関ケ原を通って一山越えれば滋賀県へ。大垣駅は名古屋を中心とする中京圏の端っこの駅ということになり、大垣夜行の存在からも察せるとおり、鉄道運行上の要衝ということになる。
かつては大垣夜行の終着駅で、いまは中京圏の端っこの駅、大垣。いったいどんな駅なのだろうか。