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明治時代に蒸気船が行き交った区間、いまは…

 いずれにしても、長らく揖斐川の川湊の町として、周辺の物資の集散地だった大垣は、鉄道の登場によって事情を少し変えてゆくことになった。舟運に頼っていた物資輸送が鉄道に変わったのだからとうぜんのなりゆきだろう。かといって、西美濃の中心という立場はほとんど失われることなく続いている。

 

 すぐ近くに、岐阜という県都がありながら、確実に存在感を保ち続けているというのは、なかなかの胆力といっていい。

 近代になって鉄道が通ったことをきっかけに、繊維工場や電機工場なども進出、内陸工業地帯としての顔も持つようになった。それが空襲につながったのだから皮肉なものだが、これもまた水陸両面における交通の便の良さがゆえだろう。明治時代に蒸気船が行き交った、大垣~桑名間には、いまはローカル線の養老鉄道が通っている。

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“夜行の町”から“3時間もかからない町”へ

「ムーンライトながら」もなくなったいま、東京から夜行に乗って大垣へ、とはいかない。そもそも、ムーンライトながらにしても大垣夜行にしても、乗っている人の多くは大垣駅が目的ではなかった。

 早朝に大垣駅に着いて、すぐに接続する在来線に乗り継いでまた西へ。夜行列車を使う人にとって、大垣はせいぜい乗り継ぎの駅に過ぎなかった。どんな駅なのか、などと思いもしない人のほうが多かったのかもしれない。

 ムーンライトながらから乗り継ぐとき、座席確保のために構内をダッシュする“大垣ダッシュ”などという不穏なものがあったという話も聞く。

 が、そんな大垣も駅の外に出て歩いてみれば、なかなか奥の深い町である。いまは新幹線で名古屋まで、そこから在来線に乗り換えて30分。東京からだと3時間もかからない。足を伸ばす価値のある、小さな水の町である。

 

写真=鼠入 昌史

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