貨幣経済に移行しても、ほとんどのひとは「時間がない」という体験をしたことはなかっただろう。人類史の大半において、日々は定型的な作業の繰り返しで、そのなかで成長し、結婚して子どもを産み育て、老いて死んでいった。
江戸時代でもヨーロッパの中世でも、武士や王侯貴族は戴冠や襲名、婚姻などの儀式に巨額の費用と何日(場合によっては何カ月)にも及ぶ長大な時間をかけてきた。そんな彼らに、「時間の欠乏」などという意識は微塵もなかったはずだ。
ところが産業革命以降、知識社会化が進むと、学校でも会社でも、決められた時間のなかで一定の作業を終わらせなければならないという要請が生まれた。当たり前と思うかもしれないが、これは人類にとってまったく新しい事態で、そもそもヒトはこのような「異常」な環境に適応するようには進化していない。
このようにして現代人は、「時間が足りない」という前代未聞の体験をするようになった。当然のことながら、脳はこれを「食べ物が足りない」「お金が足りない」と同じものとして扱った。「大事なものが足りなくなる」という経験をしたときに、脳が使いまわせる機能はそれしかないのだ。
わたしたちがいつも時間に追われているように感じるのは、時間が足りないときに、(食べ物が足りないのと同様に)脳が全力で「このままでは死んでしまう!」という警報を鳴らすからなのだ。
「このままでは死んでしまう!」という警報を止めろ
すべての生き物にとって、死を避ける以上に重要なことは(生殖を除けば)ない。脳に警報が鳴り響くと、わたしたちはそれを止める以外のことを考えられなくなる。「食べ物が欠乏している」というアラームが鳴れば、どんなことをしてでも食料を探し出し、(他人のものを奪ってでも)空腹を癒やさなければならない。
同様に「お金/時間が欠乏している」というアラームが鳴ると、わたしたちはそれに対処する以外のことができなくなる。この状態は高層ビルの屋上の端に立たされているとか、銃口を頭に突きつけられているのとさして変わらないから、仕事や勉強(試験)のパフォーマンスは大幅に下がるだろう。
この極限状況から逃れるにはどうすればいいだろうか。