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選択を避けるもっともシンプルな戦略はお金持ちになること

 もちろん、「億万長者でなければ幸福になれない」などといいたいわけではない。だが家計に余裕があれば、スーパーマーケットの食品売り場で値札をいちいち確認して財布の中身(今月の食費)と相談することもなく、食べたいものを買い物かごに入れ、さっさと精算して店を出ることができる。これだけでも日々の幸福度は確実に上がるはずだ。

「時間がない」のは「お金がない」のと同じ

「お金」という資源制約よりもさらに重要なのは、「時間」という資源の制約だ。理屈のうえでは、経済的な制約は資源を増やす(お金持ちになる)ことで解決できるが、時間の制約は物理的・生物学的な限界なので、そもそも解決方法がない。

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 脳はどうやら、「お金がない」ことと「時間がない」ことを区別していないらしい。これらはいずれも、「食べ物がない」ときと同じ脳の部位を活性化させる。

 飽食の時代では、わたしたちはもはや食料の欠乏を心配することはなくなり、先進国の深刻な社会問題は肥満(食べすぎ)になった。とはいえ、これはつい最近のことで、ヒト(ホモ・サピエンス)だけでなくそれ以前の人類の数百万年の歴史を通して、あるいは生き物としての40億年の歴史のなかで、飢餓はもっとも重大なリスクだった。

 脳は食べ物が欠乏する世界で進化してきたため、食べ物があり余る世界でも、すこしでも空腹を感じると「このままでは死んでしまう!」と全力で警報を鳴らす。これがダイエットが失敗する理由で、「やせたい」という意志はほとんどの場合、無意識の「死の恐怖」に打ち勝つことができない。

 遺伝子の変化はきわめてゆっくりで、環境が変わったからといって、電化製品のように次々と新しい機能を脳に付け足すことはできない。大きな変化にも、これまで使ってきた「ありもの」で対応するしかないのだ。

 農耕の開始とともに穀物を貯蔵できるようになり、その交換に貨幣が使われるようになったのはおよそ3500年前とされる。それ以前の人類には、「食べ物がない」という恐怖はあっても、「お金がない」という体験はありえなかった。

 だがその後、生きていくうえでお金はどんどん重要なものになっていく。貨幣経済では、お金がないと実際に死んでしまうのだ。こうして脳は、「食料の欠乏」と「お金の欠乏」を同じものとして扱うようになった。