《松ちゃんより浜ちゃんのほうが好きと言われればムカつくが、浜ちゃん嫌いと言われてもムカつく。だれの誕生日も覚えないオレだが、気持ち悪いが浜田の誕生日だけはなぜか覚えてしまっている。兄弟のようで、どっちが兄で、どっちが弟というものでもない。/きっとこの関係は、どんなに書きつづってみたところで、一般人にはとうてい理解できないものなのだろう》
ダウンタウンの松本人志は、1994年に出版して大ベストセラーとなったコラム集『遺書』(朝日新聞社)のなかで、相方の浜田雅功との関係についてこう書いていた(引用は朝日文庫版『「松本」の「遺書」』より)。それから29年の月日が流れ、きょう5月11日、松本が唯一覚えているという浜田の誕生日が今年もめぐってきた。同い年の二人だが、浜田が先に60歳となり、松本も9月には追いつく。
松本人志は小学校の同級生
コンビ結成からは昨年、40周年を迎えた。もっとも、二人の出会いはさらに古く、兵庫県尼崎市の小学校時代までさかのぼる。浜田も松本も当時から、お楽しみ会などで各クラスの代表として別々のコンビで漫才を披露していたという。
中学2年のときには、のちに放送作家となる高須光聖とともに同じクラスになった。この学年で行った林間学校で、彼らを含めた5人がクラス対抗歌合戦のクラス代表となり、替え歌を披露する。浜田と松本が同じ板の上に立ったのは、このときが初めてだという。ネタは松本が考え、それを高須がまとめ、浜田が現場でアドリブを入れて完成させるという、後年のテレビのコントなどでの役割分担もここから始まったようだ。
高校は松本が地元の工業高校に進んだのに対し、浜田は全寮制の私立校に入り、社会からほとんど隔絶された生活を送る。卒業後は競艇選手になろうと試験を受けるも失敗。だが、その試験の帰り道、吉本興業の劇場のひとつ・うめだ花月の前を通りかかると、NSC(吉本総合芸能学院)の1期生募集の看板を目にした。面白そうだと思った浜田は、すでに印刷会社への就職が決まっていた松本を誘い、入学してコンビ結成にいたる。
ダウンタウンがブレイクしてからは、二人がそれぞれ個人でも活動するようになり、浜田はテレビの複数の番組でMCを務めるほか、歌手として小室哲哉プロデュースによるシングル「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」(H Jungle With t名義)が200万枚以上を売り上げたこともあった。それでもいまだにコンビでの仕事も多く、その息の長さに改めて驚かされる。