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沢田研二だけは「沢田」

 近田 えっ? 加橋さんは、タイガースの「花の首飾り」をはじめとする数多くの楽曲で美声を披露しているじゃないですか。

 岸部 彼は、自分が歌えるなんて一言も口に出さなかったのよ。

 森本 あの時、トッポ(加橋)が「歌える」って名乗り出てたらタイガースは存在しなかったかもしれない。

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 近田 岸部さんも森本さんも、サリーとかピー(瞳)とかメンバーのことは愛称で呼ぶのに、沢田さんだけは「沢田」と名字で呼ぶんですね。

 森本 あいつと巡り会う以前に、タイガースのメンバーには、すでに遊び仲間の間であだ名がついていたんですよ。

1981年の再結成会見。(下段左から)沢田研二、加橋かつみ、(上段左から)岸部一徳、岸部四郎、森本タロー Ⓒ共同通信社

 岸部 沢田は学年が2つ下だから、その関係性には間に合わなかった。

 近田 じゃあ、ジュリーという通称は、どこから生まれたんですか。

 森本 あれは、(内田)裕也さんが命名したんですよ。

 岸部 そうそう。沢田が、ジュリー・アンドリュースのことを好きだったからっていうんでね。

 森本 かつみのトッポっていう愛称も、裕也さんがつけたんだよね。

 岸部 トッポ・ジージョに似てるからってね。

 近田 タイガースが上京するに当たっては、裕也さんが大きな役割を果たしていますよね。

 森本 裕也さんが、ブルージーンズというバンドのヴォーカルとして大阪の「ナンバ一番」ってジャズ喫茶に出演した時に、前座を務めたのが僕らだったんですよ。

 近田 そこで声をかけられたと。

 森本 「お前たち東京に行かないか」って言われて。すぐに、「行きたいです」と答えましたよ。

森本タロー氏 ©文藝春秋

 近田 裕也さんは、芸能史のところどころで、爪痕を残してるんですよね。そこがすごい。

 森本 裕也さんは本当に面白いよね。プロデューサーの久世光彦さんが言ってたんだけど、「田子の浦さんという方から電話です」というから受話器を取ってみたら、裕也さんだったと。

 岸部 何でそんな変わった名前を名乗るわけ?

 森本 まあ、正直に内田と申し出たら、久世さんは出ないから。

 近田 面倒な用件だと思っちゃうわけね。それにしたって、田子の浦って名乗る必要はない(笑)。