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《沢田研二を口説いたのは誰?》岸部一徳が明かした「ザ・タイガース」デビュー前夜の“ヴォーカル問題”

《沢田研二を口説いたのは誰?》岸部一徳が明かした「ザ・タイガース」デビュー前夜の“ヴォーカル問題”

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「僕のマリー」の甘さにびっくり

 近田 タイガースって、もともとは洋楽のカバーを主に演奏してたわけですよね。

 岸部 僕ら、中学生の頃は、洋楽を好んで聴いてたから。例えば、ジョニー・ソマーズの「内気なジョニー」とか、リトル・エヴァの「ロコ・モーション」とか。

岸部一徳氏 ©文藝春秋

 森本 僕なんかは、姉の影響で、レイ・チャールズやエルヴィス・プレスリーを聴いてたね。

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 岸部 その一方では、歌謡曲も好きだったんだけどね。

 森本 橋幸夫さん、西郷輝彦さん、舟木一夫さんの御三家とかね。

 近田 タイガースは、レコードデビューする前に、フジテレビの「ザ・ヒットパレード」に出演しました。その時、ポール・リヴィア&ザ・レイダーズの「キックス」を披露したから、このバンドは渋い選曲をするなとしびれたんですよ。

 岸部 ところが、その後、僕らのデビュー曲を聴いた近田さんは失望したんでしょ(笑)。

 近田 ええ。失礼ながら、67年に発売された「僕のマリー」は、ロックのかけらもない、甘ったるい歌謡曲でしたからね……。

 森本 僕らも、あの曲を聴かされた時はびっくりしたんですよ(笑)。

 岸部 こんなのやるのかって驚いたよね。

 近田 その一方、ジャズ喫茶に出演する時は、従来通りに洋楽を演奏していたわけですよね。

 岸部 ローリング・ストーンズのナンバーとかね。

 近田 ストーンズの曲をいろんなGSがやるようになったのは、明らかにタイガースの影響が大きい。

 森本 ジャズ喫茶には本当によく出演したもんだよね。

 岸部 「新宿アシベ」で昼間に5回公演した後、池袋の「ドラム」に移って2、3回やったりしてさ。

 近田 ものすごいスケジュール。売れてからも、ジャズ喫茶へのブッキングは続いてたんですか。

 森本 不思議なんだけど、武道館でコンサートをやった翌週、「アシベ」に出演してたりしたからね。

 岸部 普通は、売れたらもう、小さいところではやらないよね。

 森本 渡辺プロの仕切りだったんだろうけど、ずいぶんと働かされましたよ(笑)。

 近田 地方営業も多かったですか。

 岸部 よくやったね。今みたいに、全国ツアーという概念はなかったから、結構変わった座組みで公演が行われましたよ。

 森本 村田英雄さんと、ジャズの猪俣猛さんのグループと、タイガースという組み合わせもあったね。

 近田 演歌とジャズとGS、見事なまでにバラバラですね(笑)。

 森本 体育館に茣蓙を敷いてさ。出演者が変わるたび、最前列のお客さんが入れ替わる(笑)。

ジャニーさんの“歴史的証言”

 岸部 公演が終わったら、地元の興行師が設けた宴席に顔を出さなきゃならない。当然、向こうは沢田が来ることを期待してるんだけど、渡辺プロは、そういう場所には決して沢田を行かせなかったな。

 近田 大事にガードされてたんですね。箱入りだ。

 岸部 じゃあ、僕だったらいいの(笑)とは思ったけど。まあ、リーダーの責任として、僕が1人で出席しましたよ。

 森本 初代のジャニーズの前座を務めたこともあるよね。

 岸部 ジャニー(喜多川)さんは、僕らやジャニーズと一緒のバスに乗って、地方営業にまで熱心に同行してきたよね。

 森本 あの人、何よりも現場が好きだったからさ。

 近田 そうそう。日劇ウエスタンカーニバルでも、リハーサルの時とかステージの袖からずっと見てて、急に細かい指示を出したりするんですよ。この人、一体誰なんだろうと思ってた(笑)。

 森本 後に、ジャニーさんから「タローちゃん、何でジャニーズが解散したか知ってるか?」と聞かれたから、「いや、知りません」と答えたら、「タイガースが出てきたから、これはもう敵わないと思って解散したんだ」と言われたんです。

 近田 それは貴重な歴史的証言ですね。日劇ウエスタンカーニバルといえば、当時のGSにとっては、何よりの檜舞台でしたよね。

 森本 10組以上のバンドが出るから、楽しかったな。他のグループの楽屋にも遊びに行ったりして。

 岸部 普段は、別のバンドと交流する機会が意外となかったからね。

 近田 個人的に親交の深かったグループはありますか。

 岸部 ゴールデン・カップスのメンバーとは気が合ったね。

 近田 王子様みたいなキャラクターのタイガースと横浜の不良であるカップスは、GSにおいて対極的な存在。その2グループが親しかったというのは、意外かもしれない。

 岸部 しょっちゅう一緒に雀卓を囲んだものですよ。なかでも、カップスのヴォーカルのデイヴ平尾と僕は、本当に仲がよかった。

 近田 そのお二人はとにかく麻雀が強く、芸能界のお歴々をカモにしていたとうかがっております(笑)。

 岸部 デイヴは、2年ぐらい僕の家に居候してたんですよ。

 近田 それは、いつぐらいのことだったんですか。

 岸部 井上堯之バンドが始まるぐらいの時期。だからタイガースが解散した後の71年頃の話になるかな。

甦るグループサウンズ」全文は、月刊「文藝春秋」2023年6月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

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