仮面ライダー・本郷猛はどのように生まれたのか。俳優・武道家の藤岡弘、氏の「仮面ライダーと私」(「文藝春秋」2023年5月号)を一部転載します。

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「仮面ライダー」の原作者・石ノ森章太郎先生にかけてもらった忘れられない言葉があります。

 石ノ森先生が初めて、「危うしライダー! イソギンジャガーの地獄罠」(第84話/1972年11月4日放送)で監督を務めた時のこと。

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 撮影の合間に千葉県・鴨川の砂浜を歩いていたとき、「仮面ライダーはどういう死に方をするのか?」と聞いてみました。すると、普段は温厚な先生にこう喝破されたのです。

「ヒーローは死んじゃダメなんだ。永遠に死なないんだ!!」

石ノ森章太郎氏 ©文藝春秋

 私が演じた主人公の本郷猛は、悪の組織ショッカーによって改造され、もう人間には戻れない。死なないということは死ねない。どんな逆境、悲しみからも逃れられないのです。痛み、悲しみ、苦しみ、すべてを背負った「孤独のヒーロー」。それが石ノ森先生が描く仮面ライダーの本郷猛の真の姿でした。

 先生の一言は私の胸に深く突き刺さりました。そして、本郷猛が私の人生とシンクロしていたことに気づかされたのです。藤岡弘、が本郷猛であり、本郷猛が藤岡弘、なのだと――。

 私は故郷・愛媛県の山奥で父と母と兄の4人家族に生まれました。警察関係の仕事をしていた父は、「藤岡流」という古武道の師範でもあった。私が小学6年生の頃、その父が突然、出奔し生活は一変。貧しい暮らしの中で、兄貴からよく「これからは、自分の道は、自分で開拓しなきゃだめだ」と言われました。

 6歳から父の手ほどきを受けて武道をはじめ、高校時代は柔道部のキャプテンとして鳴らし、武道には自信と思い入れがありました。

 また、家計を支えるためにバイトも数多く経験しました。例えば、デパートで買った品物を自宅に届ける仕事。最初は自転車で運んでいましたが、バイクで配達する人は、その分配達件数が多くバイト代も良い。友達のバイクを借りて練習し、すぐに免許を取り、これが私とバイクの出会いだったのです。

 学生時代はアルバイトで貯めたお金で映画館に足繁く通ったものです。当時観た作品は東映の時代劇で、嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」、萬屋錦之介の「宮本武蔵」、三國連太郎さんの「王将」だったと記憶しています。洋画では西部劇が入ってきて、ジョン・ウェインをはじめハリウッドスターの姿がまぶしかった。映画の世界に憧れた私は、田舎を飛び出し俳優になる夢を持ちました。