まわりが次々と、男たちの支配する父権的な社会へと塗り替えられていくなかで、アマゾーンも男を追放し、女だけのより先鋭的な集団を作り上げざるを得なかったのでしょう。つまり彼女たちは、新石器時代から続く母権的社会を守り抜こうとした、最後の女性たちだったのです。
そして、彼女たちは強かった。
プルタルコスの英雄伝によると、テセウスとの大戦争の際、彼女たちはアテナイにまで侵攻し、男たちを数多殺し、各地に自分たちにまつわる地名を残しています。
しかし、奮闘もむなしく、その後の歴史は男主導で進んでいくことになります。
それは、なぜ?
真の敵は…
デービスは同様の質問をされた際「やっぱり男のフィジカルの方が強いからかしら?」と答えていますが、私は違う考えを持っています。
武勇の差ではなく、現代の女性も直面している、出産と育児の問題だったと思うのです。
トロイの戦争後、男の英雄たちが故郷に戻ると、彼らには成長した子供が待っていました。しかし、アマゾーンの女王ペンテシレイアは子供を得ることは出来たのでしょうか?
戦争に参加した女戦士たちは、生命を再生産する営みに参加することは出来ません。しかし、男戦士の場合、家に残した女たちに自分たちの子供を孕み育ませることが出来るのです。
さらに、次代を担う子供の数は男でなく女の数に依存するので、男戦士が死んだところで別にどうってことはないのですが、女戦士の場合は集団の維持に即打撃を受けます。
つまり彼女たちは男に負けたわけではないのです。彼女たちは、男の後ろで「家」を守った女たちに負けたのです。
この不愉快な事実を暗喩するように、ヘラクレスをそそのかしアマゾーンに最大の打撃を与えたのは、女神ヘラでした。彼女はゼウスという浮気性の夫を持ち、いつも焼き餅ばかり焼いてちっとも幸せそうでないくせに、貞節と結婚、そして母性の守護神なのでした。
アマゾーンの夢はついえたのか?
では、アマゾーンの夢、女性が自身の意志を貫ける社会を築くという夢はついえたのでしょうか。
決してそんなことはありません。この本をここまで読んだ方は既に彼女たちの子孫の物語を知っています。ヘロドトスの『歴史』によると、スキタイの若者に求婚されたアマゾーンは、こんな条件を出しました。
「私たちは弓も引き、槍も投げ、馬にも乗れるけど、あなたの国の女たちは(馬が曳く)車のなかで女の仕事だけに精を出しています。折り合って暮らすことは出来ないでしょう。私たちがあなたの家に入るのではなく、あなた方が私たちのところに来てください」
スキタイの若者が従うと、さらにアマゾーンは要求を重ねます。