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「骨はしっかりしていてタフ。170センチ以上ある人も何人かいるわ。皆、大きくて活き活きとして強そう。そして誰もがきっぱりと自立しているの」

 彼女たちはサルマタイと呼ばれる、紀元前700年頃、黒海付近を駆けまわっていた遊牧民でした。

 そして、この発見によって、アマゾーン伝説の信ぴょう性も高まりました。なぜなら、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスによると、サルマタイ人は他の遊牧民スキタイ族を父に、アマゾーンを母にして生まれた民族とされているからです。

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 アマゾーンの一部はギリシャとの戦いに敗れた際、奴隷として船でギリシャに連れ去られそうになるのですが、反乱を起こし乗員を皆殺しにしてしまいます。しかし、操船のやり方は知らなかったため、嵐にあって黒海の北岸に漂着。そこでスキタイの若者に求婚され、新しい民族を作ったというのです。

アマゾーンの正体

 デービスは、自分の発見をアマゾーン伝説と結びつけることには慎重ですが、オーストリアの歴史家、ゲルハルト・ポーラーはギリシャのリムノス島や黒海南岸に広がる女性優位社会の考古学的痕跡をもとに、アマゾーンに関する大胆な仮説を唱えています。

 彼によると、もともとこれらの地域には、新石器時代以来、母親から家系と財産が引き継がれ、家長に女性が就くのも珍しくない、母権的な国家があったというのです。

 その傍証の一つに、紀元前15世紀から小アジアに覇を唱えた強国ヒッタイトも、彼女たちのおひざ元といってもいい黒海南岸や、エーゲ海沿岸には進出することが出来ませんでした。この空白はギリシャ神話でアマゾーンが活躍した場所とぴったり一致します。また、ヒッタイトの年代記には王が、「古い女」と通称される魔女!のような集団に悩まされたという記録も残っています。

 ヒッタイトは、アマゾーンと上手くやっていたようですが、紀元前12世紀、海の民と呼ばれる謎の民族による襲撃をきっかけに滅亡。空白となった小アジアに、2つの民族が台頭します。一つはフリギア人。もう一つは古代ギリシャ人です。

 イーリアスでトロイのプリアモス王は、若い頃フリギア人を助けてアマゾーンと戦ったことがあると語っていますし、アテナイのテセウスは、女王の妹アンティオペーを誘拐し、アマゾーンとの大戦争を引き起こしています。

 これらの逸話は、彼らが小アジアへ植民活動をしていくなかで、実際にアマゾーンと激しく衝突した歴史を反映しているのだと思われます。トロイ戦争がヘレネーという美女の取り合いで起きたことからも分かる通り、フリギア人も、古代ギリシャ人も、マッチョな民族でした。