参加した女性のなかには、生理が止まり、そのまま子供が産めないからだになった女性も……ヒトラーとスターリンによって、失われた人命は数千万規模。人類史上最悪の戦闘とも言われる「独ソ戦」(1941~1945年)とはどんな戦いだったのか?
歴史小説家の黒澤はゆま氏の新刊『世界史の中のヤバい女たち』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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人類史上最大、最悪の戦争「独ソ戦」
1941年6月22日、硬直した対英戦線の打開のため、ドイツ軍は国境を越えソ連へとなだれ込みました。
人類史上最大、最悪の戦争といわれる独ソ戦の始まりです。
ヒトラーとスターリン、冷酷な独裁者同士の殴り合いは情け容赦が一切なく、投下された火力と共に、蕩尽された人命も桁違い。戦争を通じて、ドイツは400万~600万人、ソ連は1500万人~3000万人の死者を出したといわれています。
戦前、ソ連とドイツは不可侵条約を結んでいたため、ドイツの攻撃は完全な不意打ちとなりました。全戦線でソ連は敗退。「一つの世代が消えた」ほどの損失をおぎなうため、ソ連は戦争の初期から男の代わりに女性兵士を活用するようになります。
その数は、80万人とも100万人ともいわれ、軍務も衛生指導員、狙撃兵、機関銃射手、航空兵、高射砲隊長、工兵など様々。その多くが志願してのもので、彼女たちは国のためというより、もっと魂に近い、かけがえのないもの、自分の生まれ育った土地を守るために、自ら戦場に赴きました。
そして、彼女たちが守ろうとした土地の多くは、2022年にはじまったロシアによるウクライナ侵攻の戦場となった土地とも重なるのです。この章では、独ソ戦で戦った女性たちを取り上げ、女性として根絶出来ない部分とは何かについて書くことにします。
凄惨で恐ろしい「戦争の現実」
夏の盛り、看護師の少女は、前線へ行く途中停車した駅で水汲みに降りた際、次々と過ぎ行く電車が女の子ばかりなことに驚いています。彼女たちは、少女に向かって、明るく歌を歌い、スカーフや飛行帽を振りました。しかし、女の子たちを載せ、花と葉で美しく飾られた電車が進む先に待っていたのは、あまりに凄惨で恐ろしい現実でした。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳)には、その実態が記されています。
「仲間の看護婦が捕虜になってしまったんです……目はくりぬかれ、胸が切り取られていました……杭に突き刺してありました……零下の厳しい寒さで、顔は真っ青、髪は真っ白。19歳だったのに」
「操縦士が見える、その顔が。女の子だ、と気がつく……衛生輜重で女の子ばかりだって……にやにや微笑みを浮かべているの。愉しんでいるのよ……恥知らずな恐ろしい笑い……美男子だったわ」
初めの頃の戦況は最悪。飛行機も戦車もなく、文字通り徒手空拳でドイツ軍に立ち向かいました。
「生涯忘れられないのは……味方の兵士たちがライフルだけでドイツ軍の戦車に飛びかかっていったこと。銃床で装甲板をたたいているのを見たことよ。たたいて、わめいて、泣いてたわ、倒れるまで」