卒業後も音楽で繋がった2人
――お付き合いがはじまるのは、10年後の2020年。潤雅さんが30歳、裕さんが64歳のときですが、ドラマティックな再会を経て恋仲になったのでしょうか。
裕 僕はCMなんかの音楽制作もやるので、それ用に自宅とは別にスタジオ的な仕事部屋を持っていて。いまもあるんですけど。
潤雅 そこは録音もできるんですよ。私は卒業してからシンガーソングライターとして活動していたんですけど、自分の曲をどんなふうにアレンジしたらいいのか、CDを作る過程ってどういったものなのか、業界にどうやって入り込んでいったらいいのかとか、学校に通っていた2年間だけではわからないことが多かったんです。
そういったことを卒業間近から聞くようになって、卒業してからもいろいろと相談していたんです。塩さんのほうも「録音しに来ていいよ」と言ってくれたり、スタジオで作業を手伝ってくれたりして。
裕 僕はベースをメインで教えてましたけど、生徒のなかには2年ぐらいでは学び足りないから卒業してもスタジオに練習しに来る子がいるんです。楽器のプレイ以外でも、音楽活動していくのにはどうしたらいいのか相談しに訪ねてくる卒業生は少なくないですね。
――裕さんは“ちょっと怖い感じのキャラ”だったとのことですが、卒業生に対しても厳しく接していましたか?
潤雅 スタジオで作業してもらったときなんか、目つきがすごく怖かったですよ。「おまえ、ここに来たからには覚悟せぇよ」「もう、業界に入ったようなもんやぞ」みたいな。
先生と生徒よりもさらに厳しくなったというか。業界の人間のひとりとして見ているんですよ。そういうなかで、バックミュージシャンを紹介してもらったり、ミニアルバムやアルバムを作ったり。
あと、塩さんが運営しているYouTubeチャンネルがあって、そこのMCの仕事をいただいたり。なので、月に2回ぐらいは会っていたんですね。
――訪ねてくる卒業生たちのなかでも、潤雅さんはなにかビビッとくるものがあったのですか。YouTubeチャンネルのMCを任せるくらいですから。
裕 学校でアンサンブルをやっていたと話しましたけど、潤雅が作るオリジナル曲はすごく面白いなと感じていました。そこへ相談にやってきたので、僕のほうでも「アルバムを作ったらどうや」と言ったり、ふたりで演奏したり。
潤雅 「いつか売れるんじゃないか。そうしたら儲けもの」っていう商売道具的なとこもあったと思います(笑)。それでいっちょ噛んどったら、自分もちょっと儲けられるみたいな。
裕 儲かるというより、そういう才能を世に送り出せたらすごいことだなとは考えていましたね。